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第十五章
谷間に、ガリガリという、鉄鎖が滑車を軋む音が響いていた。
射出口より突き出した鉄柱の先から吊り下げられながら、春吉はまだ夢心地だった。
今まで空を飛んでいたことが、信じられなかったのだ。
「どうだった?」綾華が、戻ってきた春吉の周りを回る。
普段から自転車を乗り回している綾華は、女の子には珍しく、そういったことに興味があるのだった。
春吉は、うまく説明できなかった。とにかく初めての経験だったし、なにより言葉で正確に説明する訓練ができていなかったのだ。
すごい、とか、ぴゅーっ、とか、そんな言葉しか出てこない。綾華は勿論いらつくばかりだが、実は春吉ももどかしかったのだ。
「次はあたし。ね、いいでしょ」業を煮やした綾華は、今度は老人にまとわりついた。
「整備が全て終わったらな」老人は軽くいなし、綾華の頭をぽんと叩いた。
綾華はむくれたものの、状況は変わらなかった。
春吉はしかし、いつまでも余韻に浸っている訳にはいかなかった。
まだ浮遊機も、戦車も、整備が残っているのだ。
とはいえ、自分達のすることが、どのような結果に結びつくのかを知った二人にとって、手の動く早さは、それまでとは明らかに違っていた。
結局、三日程で、全ての整備が完了してしまった。
この頃には、青い石はすでに、当座の必要量を満たすところまで精製できていた。
「そろそろよかろう」老人が石を手にとって、呟いた。
傍らの春吉と綾華の顔が、ぱっと明るくなった。整備の苦労が報われるのだ。
浮遊機の飛行試験が開始された。
再び扉を開いた後、三人は浮遊機を開口部のすぐ手前まで移動した。
春吉が、底部中央にある壺のような形をした容器側面の栓を外して、水を注いだ。次いで老人が、別の蓋を開けて石を収める。
容器には細い管が幾重にも巻き付いていたが、やがてそれらが小刻みに震えだした。水が沸騰しているのだった。
「熱いからのぉ、触るでないぞ」老人が念を押した。
「今度こそ、あたしね」と、綾華が乗りたがった。だが、老人はまたも春吉を乗せることにした。
有能な助手が一刻も早く欲しい老人としては、やはり春吉を優先させたかったからだ。
案の定、綾華は異議を唱えたが、再び老人に諭され、渋々だが、引き下がるしかなかった。
二人は浮遊機底部の円盤に腰掛けると、腰帯を結んだ。老人が容器から突き出した何本かの桿を操作すると、中央部の漏斗(じょうご)が静かに回転を始めた。
静かすぎてわかりにくいが、漏斗はどんどんと回転を速めていった。
やがて、それまでの定期的な振動が、明らかにそれと違う揺れに変わった。わずかではあるが、浮上しているのだった。
春吉がふと見ると、綾華は必死になって着物の裾を押さえている。
格納庫内に、相当強い気流が発生しているようだ。
すかさず、老人が右脇の操縦桿を引く。
浮遊機はゆっくり前へ傾くと滑るように進み、あっという間に外へと出た。
「落ちる!」春吉の体は思わず強ばり、円盤の縁を握りしめた。
が、機体はふわりふわりと、落ちるでもなく、上昇するでもなく、そのままの高度を保ったまま横へ横へと移動していった。
それは、数日前に経験した飛行機とは全く違う感覚だった。
「飛行機ほど速くはないし、高くは飛べないが、これはこれでいいじゃろ」
老人は平気のようだが、春吉は次第に気持ち悪くなってきた。
30分ほど飛行した後、浮遊機は格納庫へと滑り込んだ。
春吉はぐったりとして言葉もない。飛行機の時の高揚感とは全く逆の気分だった。
「だらしないわねぇ」綾華が声をかけた。とはいうものの、飛行機の時ほどには、うらやましそうには見えなかった。
浮遊機を片づける間中、老人は振り返っては空を見上げていた。
そのたんびに、春吉もつられて見る。が、何か変わった様子はない。
「どうかしたのか?」春吉の問いに、
「いや、気のせいじゃろ」老人は意味ありげな表情で答えた。
「さて、閉めるぞ」
老人の指示で春吉と綾華は、今や慣れた手つきで梃子や回転輪を操作して、扉を閉めた。
しばらくの後、向かいの山の陰から、なにやら羽ばたくものが現れた。
それは、あの猿のような生き物に形も大きさも似ていた。が、大きく違うのは翼を備えているところだ。コウモリを連想させ、実際飛び方もよく似ているが、倒立はしていない。
それは、例の組織が放った斥候の一匹だった。
秩父近辺はやはり外せない、ということで定期的に見回らせていたうちの一匹が、石が発するかすかな「匂い」を感知したのだった。
その生き物は、暫く上空を旋回していたかと思うと、いずこともなく姿を消した。
無論、主人の下に報告に向かったことは言うまでもない。
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