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第三章
話しはじめた途端、大音響とともに、車庫の扉がふっとんだ。ショックで車のフロントガラスが割れ、破片が飛び散った。だが、幸い三人とも怪我はなかった。
次いで、煙を吐く筒状のものが投げ入れられた。もうもうたる煙の向こうに、三人の人影が揺れている。煙は車の中にも入ってきて、三人は激しく咳き込んだ。
「もう来おったか。ようし、これまでじゃ」老人は呟くと、
「世話になったな。どうせ奴らの狙いはわし一人。引き付けてるから、そのすきに逃げろ」
と言い残し、車から出ると外へ走り出した。
それを見て、春吉は「裏から逃げろ」と綾華に言い残し、後を追った。考えるより体が勝手に動いていた春吉は、自分でも不思議な気がした。
春吉が外に出てみると、既に男達の一人が倒れていた。状況からして老人の仕業に違いないのだが、一体どこにそんな力が秘められているのか、春吉には想像出来なかった。
残る二人は、老人を挟むように立っている。三人とも日本人ではなかった。
春吉は無我夢中で、背中を向けている男に飛び掛かった。だが、あっさり振り解かれ、いやというほど地面に叩き付けられた。男が何事か呟いたが、外国の言葉なので、春吉には理解できなかった。
「その子には手を出すな。おぬしらの狙いはこのわしじゃろう」
老人は日本語で叫んだが、男達に通じたかどうかは疑問だった。
ショックでぼんやりとしていた春吉の目に、視力が回復してくるにつれ、再び男達の姿が映った。男達は全身黒ずくめの、体にぴったりとした衣服をまとっていた。手には、短剣のようなものが握られている。
まるで忍者だな、と、春吉は朦朧とする頭で思った。
突然、車庫の中からけたたましい音が鳴り響いたかと思うと、脱兎の如く一台の車が飛び出してきて、うずくまる春吉のすぐ脇に止まった。さっきまで三人が乗り込んでいたのとは、別の車だ。
「ハル、おじさま、早く乗って!」
運転席から声をかけたのは、綾華だった。
老人は手にした杖で男達を牽制しつつ、素早く春吉の傍らに駆け寄ると、庇うようにして後部座席に押し込み、
「ようし、出せ」と、命じた。
「おじさまも早く!」
急かす綾華に向かって、
「いいから出せ。わしに考えがある」と言って、二人の男に向き直った。
綾華は一瞬迷ったが、自信ありげな老人の言葉を信じて、車を発進させた。
車が動き出した次の瞬間、背後で眩いばかりの光が炸裂した。
思わず振り返った綾華の目に、ドアの隙間から滑り込んでくる老人の姿が飛び込んできた。
門は開いていた。男達は、正門から堂々と侵入してきたようだ。
綾華はアクセルを踏み込んだまま、屋敷の外に飛び出した。普段から閑静な場所柄と、早朝のせいも手伝って、人けは全くなかった。ただ、徐々に小さくなっていくエンジン音と鶏の鳴き声だけが、空気を震わせるのみだった。
「さて、どうしたもんか?」
追ってくる気配が全くないと確信したところで、老人がだれに言うともなく、流れる窓外を眺めながら呟いた。
「そうね、とりあえずは箱根のうちの別荘へ」
即座に答えたのは綾華だった。
「それはいかん。あんたに迷惑がかかる」
老人は、慌てて反対したが、綾華は、
「どうせ乗りかかった船よ。それにおじさまが本当に平賀源内だとしたら…、ま、それはないでしょうけど、でもいいわ。面白そうだし」
綾華は、心底楽しんでいるように見えた。
「おなごも変わったよのぅ。いや、よきこと、よきこと」
例によって、老人は屈託のない笑顔を浮かべた。
「あ、今気が付いたけど、おまえ、運転できたんだ」
ようやく喋れるまでに回復した春吉が、素頓狂な声を上げた。
「見よう、見まねってやつね。ただ、機械の事は全然わからないから、故障したら終りだけど」
綾華は前を向いたままだ。運転に集中している、というより必死に押さえ付けている、といった風情だった。
「しかし、奴等、居場所を突き止めるのがやけに速くなったな。以前はゆうに一月はかかっていたのに」
老人が真顔になった。
「それに外国人も増えている。さては、本国から助っ人を呼んだな」
「もしや…」
老人は、手にした杖の握り部分を見つめた。最先端部にはガラスが嵌め込んである。老人は、やにわに杖をねじり、握り部分を外した。すると、中から銀色に光る筒状の容器が現れた。さらにそれを捩ると、今度は細長いガラスチューブが転がり出てきた。
中が、青白く光り輝いている。
「なにそれ?」
春吉が、物珍しそうに覗き込んだ。
「これか。わしの発明した活力源じゃ。さっきの強烈な光もこいつが放ったものよ」
老人は暫く眺めていたが、
「奴等、こいつの放つ精気を嗅ぎとっているのかもしれん」
と、呟いた。
「どうだ、居場所は掴めたか?」
太く低い声が、薄暗い部屋に響きわたった。声の主は、山のような大男である。そして、その言葉は日本のものではなかった。そう、それは老人達を襲った男達と同じフランス国のものだったのだ。
「ここは寒くていかん。集中させたかったらもっと暖めろ」
頭からすっぽりマントを被った痩身の男が、振り返った。ゆらめく蝋燭の赤い火ですら、男の顔色が異常に青ざめているのがはっきり分かった。
低い声の主、すなわち、この得体の知れない連中の首領と思しき男が、傍らに控える男達に頷いてみせた。男達は一礼すると部屋の四隅に置かれたストーブの前に散って、赤熱するその腹にさらに石炭をくべた。
その部屋が格別寒い訳ではなかった。いや、むしろ蒸風呂状態といってもいい程で、事実部屋にいた他の人間は、首領を除いて皆大汗をかいていた。
痩身の男は、低く唸るような声で何ごとか唱えていたが、やがて、
「先程の地点より、東南に三キロメートル。北に移動中」
と、うめくように呟いた。
「連絡しろ」低い声が、再び響いた。
石崎邸傍の路地。
春吉達の襲撃に失敗した男達が、所在なげにたむろしていた。
「キーッ」
突然の甲高い鳴き声に、男の一人が気だるげに顔を上げた。
塀の上に「それ」はいた。一見すると、小型の猿のようにも見えたが、筋肉のつき方が大きく異なっている。それに何より、猿にはあるはずの体毛が全くなかったし、肌の色も緑がかっていた。そしてその顔は、地球上のいかなる動物にも似ていなかった。
それは、軽々と塀から飛び下りると一人の男の前に立ち、くるりと背中を向けた。男は、その背に括りつけられた嚢の中から紙片を取り出すと、目を落とした。
読み終わった男は、紙片を丸めて口に放り込むと、立ち上がった。そして、ぐーっと身を屈めたかと思うと次の瞬間、一気に走り出していた。後の二人もそれに続いたが、三人とも、とても人間とは思えないような脚力だった。
その日の昼近く。
三人組は例の薄暗い部屋で、首領の前に跪いていた。
男の一人が、ぐったりした犬を差し出した。犬の首輪には、あの青白い光を放つガラス管が括りつけられていた。
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