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第六章
ドアが開いた。マイクが部屋の中へ入ってくる。部屋の中は薄暗かった。
ここは空港内にあるSFBI事務所の一室。入口の上には”第二取調室”というプレートが貼ってある。が、その実体は隣にある”第一取調室”のモニタールームなのだった。第一取調室との仕切り壁は全面がハーフミラーとなっていて、向こうの様子が手に取るように分かる。こちらの室内が薄暗いのは、向こうからこちらが見えないようにするためなのだった。
部屋のほぼ中央にソファーが一つ置かれ、そこにジュリーとまりんが座っていた。二人ともすでに普段着に着変えている。マイクはその二人に近づいていった。ジュリーはマイクの方を向いて立ち上がろうとしたが、まりんが彼女に抱きついたまま動こうとしないため、立つに立てずにもぞもぞしていた。
そんなジュリーを、マイクが両手で抑えつけるようなジェスチャーで制した。
「ご苦労だったね。いろいろあったし、言いたいこともやまほどあるが、まあ結果オーライってとこだ。今日は疲れただろう。ゆっくり休んでくれ」
マイクは抑え気味に言った。
「私は大丈夫ですが、この子はだいぶショックだったみたいです。まあ、無理もありませんが」
ジュリーは、自分の胸に顔を埋めたままのまりんに視線を落とした。
「ああ。ちょっと刺激が強過ぎたかもしれんな」
マイクにしても、まりんは頭痛の種だった。彼女は紛れもなくただの民間人である。いくら緊急事態とはいえ、法律違反ぎりぎりの危ない橋を渡ってしまったのであるから、事後処理のことを考えると気が重くなるのだった。せめてもの救いは取引連絡員を逮捕できたことだったが、肝腎の麻薬の所在が不明となれば、その効果も半減しようというものだった。
「これでヤクさえ押さえられたら、言うことないんだが」
マイクはハーフミラーの向こうに視線を投げかけながら、くやしそうに呟いた。
ミラーの向こうには、机を挟んで椅子に座ったダークスーツの男達とスミスがいた。部屋の隅にガードの職員が三名ほど待機しているのも見えた。
「どういうことなんだ。この空のケースは。お前達がネコババしたんじゃないのか?」
机の上に置かれた空のブリーフケースを示しながら詰問したスミスの声が、スピーカを通じてこちら側にも聞こえてきた。二人の男は口を開こうとしなかった。当然といえば当然ではあるが。
「どこに隠した?え、正直に言え。協力すれば悪いようにはしない。言え。言うんだ」
スミスが、立ち上がりながら机を叩いた。が、二人の男は全く表情を変えなかった。
「あの二人、白状しそうですか?」
ジュリーが不安そうにマイクに聞いた。
「いや。たぶん無駄だろうな。後は支局の尋問班に任せることになるだろう」
マイクは諦めの口調で答えた。
「自白剤を使ったらどうですか。よくテレビでやってるでしょう」
声の主はまりんだった。完璧に、いつもの喋り方だった。
「なによ、だしぬけに。あんた今まで泣いてたと思ったら」
ジュリーが飽きれたように言った。
「あー、泣いてたんじゃないですよ。今日は走ってばかりだったんで眠くなっちゃって。先輩の胸、とっても柔らかくて、あたしのうさちゃんの枕とそっくりだったものだから、ついうとうとしちゃったんです」
まりんの声はあくまで明るかった。
「なによ。せっかく人が心配して抱いててやったのに。もう平気のようね」
ぶっきらぼうに言いながら、まりんを突き放したジュリーの顔は、真っ赤に染まっていた。マイクの前で胸がどうのこうのと言われたことが、よほど恥ずかしかったらしい。
ジュリーはちらっとマイクの方を見たが、マイクもまたばつの悪そうな顔で視線を遊ばせていた。彼もこの手の話題は余り得意ではないらしい。
「先輩。あんまりじゃけんにしないでください」
ソファに転がされたまりんは不満そうだった。ジュリーは何か言いたそうに口を開きかけたが、それより早くまりんが、
「マイクさん」
と、声を掛けた。
「はい」
急に矛先を向けられたマイクは、何を言われるのかと思わず身構えてしまった。
「さっきの質問、どうなんですか?」
マイクは、一瞬戸惑いを見せたものの、
「あ、あー、自白剤ね」
思い出したように言った。
「自白剤は、法律で使用が禁止されている。もし使ったことがばれたら我々は全員クビ、犯人は即刻釈放だ。それに、もっと厄介なことがある。奴らは対自白剤ショック薬を服用している可能性がある。もし、そんな奴に自白剤を使おうものなら、ショック症状を起こして死んでしまう。それこそ元も子もなくなってしまうんだ」
マイクは噛んで含めるように説明した。
「ふーん。テレビみたいにうまくはいかないのね」
まりんは納得したようだった。
「さて、君達は一足先に戻っていてくれ。トウキョウ行きの定期エアバスの座席を用意してもらっている。あと三十分後に出る便だ。着いたら直接自宅に帰っていい。明日以降の処遇については、支局より追って連絡が入るはずなので、その指示に従うこと。いいね」
マイクの口調は上司のそれだった。
「はい」
ジュリーとまりんは、立ち上がって敬礼をした。
「あんたはいいの」
ジュリーは、すっかり捜査官気取りのまりんの右腕を引き下ろした。まりんとジュリーは睨みあうような格好になったが、
「まあまあ。いいから、いいから」
マイクが割って入った。
−やれやれ、なんで俺がこの娘達の機嫌ばっかり取らにゃいかんのだろう−
マイクは額に手を当てて、軽く柔もんだ。疲れが一段と重みを増したようだった。
「教官」
ジュリーの声だった。
「なんだ」
マイクが顔を上げた。
「私、ずっと気になってたんですけど、あの人達は私達がホールド・アップをかけたとき、逃げようと思えば簡単に逃げられたにもかかわらず、空のケースを取り戻す事にあくまで執着しました。それに、私が中身が空だと言ったときには、ケースを渡しさえすればいいんだ、とも言いました。ということは、あのケース自体に何か秘密が隠されているのではないか、と…」
ジュリーは机の上のブリーフケースを注視しながら、自分の考えを述べた。
「そうか。それは有り得るな」
マイクは、正直言って一本取られたと思った。マイクらにしてみれば、取り引きでは現物同士がやり取りされるという先入観があったのだった。だからケースの中が空だったということは、すなわち今回は何らかの理由で取り引きが成立しなかったものと、頭から信じ込んでいたのだった。
「よし、調べてみよう」
マイクは、ちょっと前までの落ち込みようが嘘みたいに活気づいた。もしかしたら物を自分達が押さえられるかもしれない、という希望が再び湧いてきたからだった。
ブリーフケースを持ったマイクを先頭に四人が入ってきたのは、取調べ室の隣にある検査室だった。ここには専門の研究施設には及ばないとはいうものの、各種検査装置が一通りは揃っていた。
「まずはX線でも当ててみるか」
スミスが提案した。
「ああ。そうしてみよう」
マイクは部屋の片隅にあるX線透視装置に近づくと、その上にケースを乗せた。
スキャナーが走査し終わると、透視像のコピーが吐き出されてきた。
「別に変わったところはなさそうだな」
コピーを見ながら、スミスが呟いた。
「でも、彼らのあのこだわりようはやっぱり変だわ」
ジュリーはあくまで言い張った。そしてケースを持ってあちこち眺め透かしていたが、「これはどうかしら」
と、ブリーフケースのスロットに差し込まれていたICカードを抜き取った。
「暗証番号を記憶したカード・キーだな」
スミスが確認した。
「例えば、このカードに何か情報が記録されているとか」
ジュリーがカードをかざしながら言った。
「よし、カードリーダーにかけてみよう」
スミスはジュリーからカードを受け取ると、壁際に並んだテーブルの上に置かれた機械の一つに差し込んだ。
「どうだ」
マイクが機械に取り付けられたディスプレイを覗き込んだ。
「うん。八桁の数字がランダムに並んでいるだけだ。こりゃ、普通の暗証番号だな」
スミスが、沈み気味に答えた。
「いいとこついたと思ったんだけど」
ジュリーもがっかりしたようだった。
スミス、マイク、それにジュリーの三人は思い思いに辺りに置かれた椅子に腰を下ろすと、それぞれが他の可能性に頭を巡らし始めた。
そんな中で只一人、まりんだけがカードに関心を示し続けていた。彼女はカードリーダーからICカードを抜き取るとしきりに眺め回していたが、
「このカード、逆に差し込んだらどうなるのかしら…」
ぽつりと呟くと、カードリーダーに差し込もうとした。
「あれ、入らないわ」
ジュリーは立ち上がり、まりんの脇に寄ると、
「そのカードはね、逆には差し込めないの。よく見て。カードの隅が一箇所だけ欠けてるでしょ。差し込めるのはこっちだけなの」
なかばあきれ気味の声だった。
「へー。そうなんですか」
まりんが感心したように言った。
「まったく。ICカード使ったことないのかしら」
ジュリーは再び椅子に座り込み、推理の続きに戻った。
まりんは、引き続きカードをしげしげと見詰めていたが、やがて、
「あ、折れちゃった」
と訳の分からないことを言いだした。
「ん?どしたの」
ジュリーが顔を上げた。
「あの、カードいじってるうちに、角が折れちゃったんです」
まりんが、カードをジュリーの目の前に差し出した。確かにはじめから欠けていた角と対角線上の角がきれいに欠けていた。してみると、あらかじめ、切れ目でも入っていたらしい。
「よし。かけてみろ」
ジュリーはカードをリーダーにかけた。ディスプレイに文字と数字が現われた。今度のは先程と違って、多少は意味がありそうだった。
「何かの登録ナンバーかな」
スミスが推理した。
「支局のコンピュータに照会してみる」
マイクは、都心の支局にある中央コンピュータと直結された端末機に取りついた。
「最優先回線が空いてるといいんだが」
マイクは呟きながら、矢継ぎ早にキーを叩いた。
「やった。捉まえたぞ」
マイクが歓声を上げた。すぐさま今のナンバーを打ち込み、解析をリクエストした。
「さあて。どうでるか…」
マイクをはじめ、四人は揃ってディスプレイ画面を注目した。実際には三、四分位いだったはずなのだが、その時の彼らには何十倍の長さにも感じられた。
画面上にメッセージが打ち出され始めた。メッセージを追っていたマイクが、
「なになに、火星からの輸入家畜の受付ナンバーだって」
読み上げた。
「空港の輸入品管理部に問い合わせてみよう」
スミスは部屋の隅にある電話の処へ行き、しばらくやりとりをしていたが、やがて受話器を置くと戻ってきた。
「間違いない。そのナンバーの荷が昨日空港に着いている。いま検疫待ちだそうだ。これから見にいこう」
スミスは三人を促した。
「よし。行こう」
マイクがきっぱりとした調子で答えた。
四人は揃って事務所を後にし、管理倉庫へと向かった。
「これがそうなのか…」
マイクが怪訝そうな声を上げた。
「まいったね。こりゃ」
スミスも飽きれ顔だった。
マイク、スミス、ジュリー、それにまりんの四人は、カードに記されたナンバーを持つ輸入品の前に立っていた。
それは檻の中に入っていた。檻に例のナンバーを打ち込んだプレートがぶら下がっているので、間違いはない。
それは牛だった。
それも巨大な牛だった。火星は重力が小さいため、動物は地球より大型化する。そのため、食用動物は圧倒的に火星からの輸入品が多かった。現にここにいる牛も、体長はゆうに五メートルを越えていた。おまけにそれが十五頭もいた。
普通、牛はコストの関係から肉の形で輸入されるのだが、一部の美食家と呼ばれる人達のために、少ないながらもこのように生きたまま運び込まれてもいた。その種の人間達はコストのことなど気にもかけないからだ。
「こいつらとヤクと、どういう関係があるんだろう。こりゃ、見当違いかな」
マイクは考え込んでしまった。
「あの、例えば、牛に麻薬の詰まったカプセルを呑ませるとか」
ジュリーが提案した。が、
「そんなことをすれば検疫の時に必ず引っ掛かります」
発言したのは、彼らに同行してきた輸入品管理部の係官だった。
「だろうな。まさか奴らもそんな幼稚な手を使うとは思えんな」
マイクも同意した。
「すいません。余計なこと言って」
ジュリーの声は消え入りそうだった。
「あ、いやいや。そんなつもりじゃなかったんだが」
マイクは慌てて、なだめるように言った。「だが、こいつらは火星から送られてきている。どういう仕組みになっているのかはよく分からんが、ヤクの取り引きのカモフラージュに使われているとしても、不思議はないな」
スミスが言った。
「こいつらの受取人は?」
スミスが係官に聞いた。係官は携帯用端末機を操作すると、
「ドナルド・リチャーズ・トレーディングカンパニーですね」
と、検索結果を読み上げた。
「うーむ。お前、心当たりはあるか?」
マイクがスミスに聞いた。
「いや。知らん」
スミスが首を横に振った。
「だが、クララなら知ってるかもしれんぞ」
スミスはにやりと笑うと、
「君、ちょっとその端末を貸してくれないか と言って係官から端末機を借り受け、キーを操作しはじめた。
「クララって、なんですか」
ジュリーがマイクに囁いた。
「奴がつけた、支局の中央コンピュータのニックネームさ」
マイクは顎をしゃくってスミスを示した。スミスはしばらく端末を見つめていたが、
「きたきた。分かったぞ」
スミスは顔を上げると、
「ドナルド・リチャーズ・トレーディングカンパニー。役員の中にジャック・トヨハラの名前がある。間違いない。アイアン・シャークだ」
スミスは親指をぐいっと突き立てて、片目をつぶってみせた。
「よーし、決まった。お前らはクロだ」
マイクは牛達を指差しながら宣告した。
「そうよ。牛さんたち、みーんなまっ黒じゃない。何言ってんですか」
まりんだった。それを聞いて、マイク、スミス、ジュリー、さらには空港の係官までが一斉に大笑いした。
「なんですか、みんな。あたし、なんか変なこと言いましたか?」
まりんはなぜ自分が笑われているのかさっぱり分からず、ぷいとふくれて横を向いた。その仕草がまた皆の笑いを誘った。
笑い声は、しばらく消えることがなかった。
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