ホーム創作ストーリーG外伝・#001>第二章

前章へ 目次へ 次章へ

第二章


 二台のトラックと一台のワゴンは、箱根にいた。さしもの巨大十六輪トラックも、その広大な駐車場にあっては、まるでミニカーのように見えた。

 一台のトラックの荷台が開かれると、中からタンスほどの大きさの機器が次々と降ろされ、それらはドーリーに乗せられて、古びた、しかし荘厳とも言える屋敷の中へと運び込まれていった。
 さらに、もう一台のトラックからは何本ものケーブルが引き出され、機器のあとを追った。

 屋敷の中では、運び込まれた機器の接続作業が、てきぱきと進められていった。
「それにしてもなんて広い家なの。まるでホテルか学校ね」
 由記があたりを見回しながら言った。彼女たちのいる部屋は、七〜八十畳はあろうかという、二階分をぶち抜いた洋間だった。

「ま、八州(ヤシマ)財閥本家の別荘ですからね。戦前は外国からの賓客や貴族達を集めて、ダンスパーティなんかが開かれていたそうですよ、ここで。もっとも最近は琢磨君の専用になってるようですが」
 由記の助手、上村純一がパネルの点検をしながら言った。

「相変わらず、そういうことには詳しいのね、君は」
 由紀はあきれたように、腰に手を当てた。
「有り難うございます」純一がぺこりと頭を下げた。
「別に誉めた訳じゃないのに」由紀は純一に背を向けると、聞こえないように呟いた。

「よし、接続完了っと」純一はパネルをポンと叩いた。
 セッティングの終わったその部屋は、多数の装置やスポットライトスタンドのような器材に取り囲まれた中心に、歯科医院で使われるようなリクライニングシートが置かれていて、まるで野戦病院の手術室といった雰囲気があった。

「ではメイン電源、入れて下さい」由記が入り口近くの係員に告げた。
 係員は走って出ていくと、やがて外から低いうなり音が聞こえ、同時に、部屋の入り口近くに置かれたボックスのランプが点灯した。それを確認して、純一がボタンを押した。

 各装置に、一斉に明かりが点った。
「起動しました。自己診断プログラム実行中」
 純一が、さらにスイッチ類を操作すると、いくつかあるモニターにそれぞれ文字や図形が現れて、高速でスクロールしたり、変形したりしていった。

「ご苦労様」
 コンソールを覗き込む由記たちの背後から、凛とした女の声が響いた。
 振り返ると、長身のすらりとした女が立っていた。歳は三十前後であろうか。白衣を着用していた。女は、
「わたくし、琢磨さんの主治医で若宮と申します」と会釈した。

「若宮、さん、ですか」由記は何か引っ掛かるものを感じて、記憶を探った。
 やがて由記の顔色が変わったのを見て取って、
「わたくしをご存知のようね」若宮妙子が先回りした。
「あ、お名前だけ。学生のときに、ちらっと」

「ということは、悪い評判ね」
「いえ、そんな…」由記は口篭もった。
「いいのよ。慣れてますから」
 妙子は、全く気にするそぶりもなかった。

「もう動かせるの?」妙子がメイン・モニタをのぞき込んだ。
「OSは起動しましたが、アプリケーションはこれからです」由記が答えた。
「そう。それじゃぁ後はこちらでやります。どうぞ、お引きとりになって結構よ」
「お引きとりって、この装置は専門家でなければ操作できませんよ」
 由記は語気を強めた。が、

「すでにマニュアルは入手済みです。それで十分です」妙子は動じない。
「でもパスワードが…」
「お話は」妙子が遮った。「すでに理事長にお通ししてある筈ですが。それとも何かわたくしどもの存じ上げないご指示がありまして?」

 妙子の目が、メタルフレームの眼鏡の奥で、きらりと光った。
 由記には返す言葉がなかった。確かに彼女が受けてきた指示は「置いてくること」だったのだ。由記は、これ以上の反論は無駄だと判断した。どうにも釈然としなかったが、ここは引き下がるしかなかった。

「どんな人なんです?彼女。すっごい美人でしたけど」
 帰りのワゴン車の中で、純一が好奇心を押し隠そうともせずに尋ねた。
「彼女、精神カウンセリングの世界では伝説の人なのよ。十年ほど前になるかしら。当時学生だった彼女は、社会となじめない子供たちの深層心理の研究にかけては、もうすでに右に出る人はいないくらいの、天才ぶりを発揮していたそうなの」

「彼女はある仮説を立て、それを立証するための実験を行った。うちの研究室も協力したそうだわ。で、その場に立ち会った人の話を聞いたことがあったんだけど、彼女がやったのは『人体実験』と呼ぶにふさわしい程、苛烈なものだったそうよ」
「人体実験、ですか?」 純一の眉間にしわが寄った。

「精神医学は体を切り刻む訳ではないから、証拠が残らないので結局うやむやになったの。でも、すでに噂を耳にしていた学会は、案の定彼女の発表に猛烈な反論を浴びせ、それが元で彼女は表舞台から姿を消した。その彼女がなぜ…」
 何か得体のしれない不安感を、由記は拭い去ることができずにいた。

 同じ頃、屋敷では、妙子が車椅子を押していた。それには少年が乗っていた。年齢は14歳の筈だが、10〜11歳にしか見えなかった。
 車椅子に座っているのは局部的障害があるためではなくて、彼が特異な虚弱体質で、すぐ疲労してしまうためだった。

 名前は、琢磨。八州財閥現当主の御曹子。今回の一顛末の張本人だった。
 装置を前にして、琢磨は異常に高揚していた。
「いいよ、もう」琢磨は妙子に声をかけた。透き通った、女の子のような声音だった。
「かしこまりました」妙子は一礼すると、部屋を出て行った。

 琢磨は、膝に置いた分厚いファイルを重そうにコンソールの端に乗せると、正面のメイン・モニタに目をやった。画面は、パスワード入力を要求して止まっていた。
 琢磨は、コンソールのパネルの一部を開けた後、車椅子の側面に取り付けたノートパソコンを引きだして、そこから延びているケーブル先端のコネクタを差し込んだ。

 パソコンのキーを打つと、メイン・モニタ画面に子ウィンドウが開き、パスワード破りのプログラムが起動した。しばらくして、メイン画面からパスワード要求画面が消えた。琢磨の口の端が、わずかに吊り上がった。

 彼はマニュアルをぱらぱらめくり、いくつかコマンドを叩くと、コンソール前からシート横に移り、ゆっくりとした動作で横たわった。アームレスト先端についた小型キーパッドを操作して、更にコマンドを打ち込んでいった。

 デモプログラムが立ち上がった。琢磨の横たわるシートが、ホログラム映像に包まれていく。仮想空間が現出したのだった。
 それは鮮やかな世界だった。深海から宇宙空間、ミクロコスモスからマクロコスモス、太古からはるか未来、自在にその視点を変えながら、様々な映像が現れては消えていった。

 映像を見つめる琢磨の顔は、紙のように白くなっていた。彼に限って言えば、それは興奮が最高潮に達していることを示していた。
 しばらくして、画面の一角に真っ赤なキューブが現れた。外部からのインタラプションのサインだった。琢磨がキーパッドを叩くと、現実空間がオーバーラップされ、コンソールの向こうに立つ妙子の姿が見て取れた。

「お疲れでしょう。点滴の用意ができてます」マイクを通して、妙子の声が響いた。
 琢磨がさらにキーを叩くと、仮想空間がすーっと消えた。
 妙子は、シートの脇に歩み寄ると、すでに汗びっしょりの琢磨を抱きかかえた。ぐったりした琢磨は妙子のなすがままに、車椅子へと身を移した。

 二人は、広間を後にした。


前章へ 目次へ 次章へ

Home] [History] [CG] [Story] [Photo] [evaCG] [evaGIF] [evaText