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第三章


 ジュリーとまりんは、SFBI極東支局ビルのロビーで、しばし膝に手をついて息を整えていた。無理もない。十分中距離の範囲に入る区間を、短距離のスピードで駆け抜けてきたのだから。
「なんとか、…間に、…合ったわね」
 ジュリーが切れ切れに言った。
「ええ。…あたしの場合は、…もう三十分、…遅くても、…良かったんですけど」
 たぶん、本人は全くそういうつもりはないんじゃないかと思われるのだが、まりんのこういった余計ともいえる一言が、ジュリーは全く気に入らないのだった。

「なら、…もっとゆっくり、…来ればよかったじゃない」
 ジュリーは、むっとして言った。
「でも、…あたし、ここの、…場所、…知らないから」
 まりんの答えは素直なものだった。
「そう、…だったわね」
 ジュリーは走るのに夢中で、そもそもなぜ全力で走ることになったのかを、すっかり忘れてしまっていた。この忘れっぽさというのは、ジュリーの特質のひとつということができた。

「さて、あんたとはここでお別れね。縁があったらまた会いましょう」
 息が整ったころを見計らって、ジュリーは言うなり、さっさと受付カウンタの方へ歩いていった。
「今日から実習に来ました、SFBI養成学校学生のジュリエット・ジャクソンです」
 ジュリーは受付嬢に向かって元気よく、しかも敬礼付きで言った。
「はい。しばらくお待ち下さい」
 受付嬢はにっこりしながら、手元のキー・パネルを操作した。モニタに登録済みのメッセージが現われ、次いでカウンタのスロットから、IDカードがはじき出されてきた。

「これを持って、あちらの緑のエレベータで十四階へどうぞ。降りるとすぐにフロアの受付がありますから、そこでこれを渡して下さい」
 受付嬢は、カードを渡しながら言った。
「ありがとうございます」
 ジュリーは、また敬礼で答えた。受付嬢はくすっと笑うと、軽く会釈をした。
 ジュリーがカウンターを離れると、次いでまりんが、
「私、今日から社会実習でお世話になりますセント・ジョルジア女学院のニシ・ハルミと申します。どうぞよろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げながら言った。

−なによ、あの娘。普通の話し方が出来るんじゃないの。なーに、それにあのカマトトぶった態度。ああみえて、案外世渡りが上手なんじゃないの−
 ジュリーは後から聞こえてくる、まりんと受付嬢の会話に無意識のうちに気をとられ、あやうくエレベータのドアにぶつかりそうになった。
−どうしたのかしら、私としたことが。あんな女子高生一人にむきになるなんて。でも、もう終わりだわ。さ、気を取り直していきましょう−

 ジュリーは大きく深呼吸をすると、ドアの開いたエレベータに乗り込んだ。ボタンを押してドアを閉めようとしたジュリーの耳に、
「せんぱーい。待ってくださーい」
 忘れようとしても決して忘れることのできない声とともに、エレベータの中にまりんが飛び込んできた。
「はあー。また走っちゃった。せんぱーい。先輩も十四階ですよね。あたしも十四階なんですって。奇遇ですねー。もしかしたら、同じ職場かもしれませんね。楽しみだわー。わくわく」

 まりんは心から嬉しそうだった。反対に、ジュリーはまるで頭にバーベルを乗せてでもいるかのように、うなだれていた。
「私が保証する。絶対同じ職場だ。そもそも会った時から、いやーな予感がしたんだよね。ぶつぶつ…」
 ジュリーは、うつむいたまま、小声で呟いていた。あ、そうそう。独り言は、ジュリーのくせの一つなのだった。
 エレベータのドアが開いた。

 外へ出た二人は、出たとたんに悲鳴を上げそうになった。そこにはミスターユニバース級の大男が二人、立っていたのだった。思わず、じりじりと後退りしはじめた二人に、男達は鋭い眼光を投げかけていた。
「あ、あの、こ、これ」
 ジュリーが、おそるおそるIDカードを差し出した。まりんも同じようにカードを出す。
 男の一人が無言でカードを受け取ると、廊下の片隅にある読取機に近づき、すばやくかけた。

 男の頬にさっと緊張感が走った。もう一人の男を呼び、読取機のモニターを指差してなにか言葉を交わしている。それを見て、ジュリーの後に隠れるようにしていたまりんが、
「先輩、あたしたち、何も悪いことしてないですよね。まさか、いきなり射たれたりしないですよね」
 不安そうに囁いた。

「そんなこと、あるわけないじゃないの。ばかね」
 言い返したジュリーの声も、こころなしか震えているようだった。
 男達が戻ってきた。
 男達はそれぞれジュリーとまりんに近づくと、同じように右手を差しだし、二人を掴まえるような体勢に入った。
「……」
 恐ろしさのあまり声も出ない二人は、ただ呆然と立ちつくしていた。

 男達は二人の胸に軽く触れると、さっと壁際に退いた。二人は男達が触れたところを見た。すると、二人の胸にはきらきらと輝く小さなバッジが付けられていた。男達は気を付けの姿勢をとると、
「お待ちしておりました。どうぞお通り下さい。まず、衣装室で支度願います。後は係の者が待機しておりますので、その指示に従って下さい。衣装室は、二つ目の角を右に曲がって最初のドアです。では、ご健闘をお祈りいたします」
 男の一人が始めて口を開いたが、その口調は体から受ける印象とは、全然釣り合わない慇懃なものだった。

 ジュリーとまりんは男達に、にっ、と半分引きつったような笑いを投げかけると、おどおどしながらも、奥へ入っていった。
「なんか、変じゃありません?」
 歩きながら、まりんがジュリーに向かって言った。
「そうね。あれはどうみても、実習にきた学生を迎える態度じゃないわよね」
 ジュリーも、それには同感だった。
「じゃ、さっきの人に聞いてみましょうか。人違いじゃないかって」
 まりんが立ち止まった。今にも引き返そうといった体勢だった。

「待って」
 ジュリーが制した。
「何だか分からないけど、もうちょっと様子を見ない?もしかしたら、事件の現場に出られるかもしれない」
 ジュリーにはこのことが、またとないチャンスに思えたのだった。
「そんなー。あたしはただ社会教育の実習に来ただけなんですよ」
 まりんは不服そうだった。
「犯罪の取締の現場を経験出来るなんて、これ以上の社会勉強はないわよ。それとも、なに。あんた、一人だけ抜けようっての。もしそんなことしようもんなら、あんたとは絶交よ。もう先輩でもなんでもないわ」

 なんという不条理、非論理。だが、ジュリーの勢いの凄さをもってすれば、たちまち正論になってしまうのだった。
「せんぱーい。そんなこと言わないで下さーい。分かりました。いきますよー」
 一人だけすたすた歩き出したジュリーの後を、まりんが飛び跳ねるように追い駆けた。
 衣装室から出て来たジュリーとまりんは、これがあの二人か、とは到底思えないような変身ぶりを示していた。

 二人の出で立ちを説明しよう。まず、ジュリーだ。
 強めのパーマのかかったブルネットの髪 −もちろんかつらである− 、その髪から見え隠れするイヤリングは、かみそりの形をしている。真っ赤に塗られた唇が、色っぽさを通り越して、不気味さを呈していた。さらに、細身のサングラスが悪女っぽさを強調していた。

 ウェアは上が黒のタンクトップ、下は濃いピンクに着色されたレザーの超ミニ・スカート、そして極め付けは、膝の上まである蛇皮のタイトなブーツ。ちなみに、ヒールはゆうに十五センチはあるから、ただでさえ長身のジュリーがなおのこと大女に見える。首と手首には、金のチェーン製のブレスレットが、ぐるぐる巻きに巻き付けられていた。これで首の左右に電極でもついていれば、紛れもないフランケンシュタインの怪物だ。おお、こわ。

 次いでまりん。
 ヘアーはちりちりのアフロ。小さなリボンがあちこちにちりばめられている。イヤリングは、耳たぶの大きさほどもあろうかという、クロームのつや有りと梨地が細かい市松になったプレート。サングラスも、大き目のとんぼ形である。唇はシャイン・グリーンに塗られている。

 ウエァは、上がだぶだぶの、夕暮のビーチがプリントされたトロピカル・シャツ、下が白のサブリナ・パンツ。靴は金色のダンスシューズのようなハイ・ヒールで、これも踵が十センチはある。アクセサリーと呼べるものは、首からさげた十字架位いだが、その代わり手に大きなうさぎのぬいぐるみを抱えている。普段のまりんなら、まさにぴったりのグッズなのだが、この格好ではむしろ異様に見えた。

「せんぱーい。まさかこれが制服ってこと、ないですよね」
 まりんが不安そうに囁いた。
「当たり前でしょう。どう見たってまっとうなレディの格好じゃないわよ。察するところコールガールかなにかね」
 ジュリーが答えた。彼女の場合は、自らの格好がこれから起こることを暗示しているようで、期待感のほうが先行しているようだった。

「何ですか、コールガールって」
 まりんが、真面目な顔で聞き返した。
「そ、そうか。あんた、お嬢さんだもんね。知らないのも無理ないわね。うん、今の、聞かなかったことにして。あははは…」
 笑ってごまかしたジュリーの頬は、どぎついメイクの上からでもそれとわかるほど、真っ赤に染まっていた。

「ご苦労様です。では、私がヘリポートまでご案内いたします。どうぞ、こちらです」
 若い女性の声が聞こえた。
 ジュリーとまりんが声のした方を振り向くと、SFBIの制服 − こちらは紛れもなく、普通の制服である。念のため − に身を包んだ女子職員が、不動の姿勢で立っていた。
 それを見たジュリーは、思わず、
「あっ」
 と、声を上げてしまった。あわてて口を押さえたが遅かった。

「あ、あ、あー、ごくろう」
 ジュリーは咳き払いを交えて答え、何とかその場をとりつくろった。
 女子職員は別に何事もなかったように、回れ右をすると自ら先頭に立って、歩きはじめた。
 ジュリーは小さく溜息をつくと、その後に従った。

 まりんが、飛び上がるようにして −事実、二人のみかけの身長差は三十センチ近くもあり、まるで一階と二階で話をするようなものだった− 、
「どうしたんですか、ずいぶん慌てていたみたいですけど」
 まりんがジュリーだけに聞こえるように言った。
「あ、後、後で話すわ」
 ジュリーも、小声で答えた。

 ジュリーは、まだ胸の動悸が収まっていなかった。それが、前を行く女子職員に原因していることは、すでに明白だろう。
 ジュリーは彼女を知っていた。知っているなんてもんじゃない。もし相手が、自分の目の前に立っているのがジュリーだと知ったら、最悪の場合、取っ組み合いの喧嘩になっていたかもしれなかった。前を行く女子職員、名前、を言うより、彼女達の間では通称「ガリンポ」で通っていたが、そのガリンポはジュリーの養成学校時代の一年先輩で、ジュリーが入学と同時に入った寮で、三ヵ月の間同室だったのだ。

 普通、寮は一度部屋割りが決められると、一年は変わることはないのだが、二人の場合はわずか三ヵ月で、部屋どころか寮そのものが別々に分けられてしまったのだ。詳しい理由は、例によって紙幅の都合で次の機会に譲るが、賢明なる読者諸氏は、薄々感ずかれていることと思う。そう、お察しの通りなのである。
 ジュリーにしても、いずれは署内のどこかで、顔を合わせることになると覚悟はしていたが、まさかこんな格好で出会うとは、思ってもいなかった。

 ジュリーにとって救いだったのは、相手が全く気付いていないことだった。もっとも、宿命のライバルが、こともあろうにレベルGの捜査官になりすましていようとは、想像しろというほうが、どだい無理である。
 ジュリーはこのチャンスを利用して、いやみの一つも言ってやろうかという誘惑にかられていた。言ってやりたいことは、山ほどあった。だが、もしそんなことをして、万一相手に気付かれでもしたら、元も子もなくなってしまう。

 ジュリーは通路で、そして屋上へ昇るエレベータの中でも、拳を固く握って必死で耐えていた。
 そんなジュリーにまりんが、
「せんぱーい、我慢しないほうがいいですよ。身体に毒ですから」
 囁いた。
「あのなー。そんなんじゃないの」
 ジュリーは思わず怒鳴ってしまった。しまってから後悔したが、遅かった。が、

「し、失礼しました。決してそのようなつもりは、毛頭ありません」
 という、今にも泣き出しそうな声が返ってきた。ただし、まりんの声ではない。
 えっ、という表情のジュリーの目に、大きくたじろいだまりんの他に、エレベータの壁に向かって、うなだれて立っているガリンポの姿が映った。よく見ると、小刻みに震えているようだった。

 ジュリーには、何がどうなったのか見当もつかなかったが、ガリンポの態度からして、二人に対して何か良からぬ想像でも巡らしていたのだろう。そこをジュリーに看破されたと思い、それで思わず声を上げてしまったといったところか。なまじレベルGに対する予備知識 − それも多分に神話化された − を持っているだけに、今の一言は絶大なインパクトを与えたに違いなかった。
「なに、分かればよろしい」
 ジュリーは出来るだけ、傲慢な調子でいった。

「は、はい。恐れ入ります」
 ガリンポは、消え入りそうな声で返した。
− やったね −
 ジュリーは、今度はこの嬉しさを必死にこらえるのに、苦労することとなった。
 エレベータが最上階に着き、そこからはエスカレータで屋上に出た。

 屋上には、すでにエンジンをかけて、すぐにでも飛び立てる体勢のVTOL機が待機していた。
「ご成功をお祈りします」
 ガリンポが二人に向かって、まるでオイルの切れたロボットのような敬礼をした。
「あんたも、がんばってね」
 すっかり余裕のジュリーは、ガリンポの肩をぽんと叩きながらいった。
 ガリンポの顔に、ほっと安堵の表情が拡がった。

「じゃーね」
 愛想よく手を振るまりんを引きずるように、ジュリーはVTOLに乗り込んだ。


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