一式飛行要塞


経緯

 昭和14年5月。ノモンハン事件の勃発により、いよいよ対ソ戦の意を強くした陸軍は、かねてより進行中であった、広大な大陸で橋頭堡を確保するための方式の研究を加速した。

 既に空挺部隊による侵攻案は提出されていたものの、降下中は無防備であるために狙い撃ちされる危険が高いことや、機動力のある地上部隊による早急な支援が期待出来ないことなど、解決しなければならない問題もまた、山積していた。

 つまり、敵地のただ中に降下した部隊は、自らの身は自らで守らねばならないという、厳しい条件を突き付けられていたのである。

 そこで浮かび上がってきたのが、滑空機を利用しての強行着陸案であった。これなら、降下中の危険度はずっと少なくなるし、着陸後の滑空機を楯として使うこともできる。

 早速「若干の装甲を施した滑空機」の開発としてスタートした本計画は、程なくして「飛行可能な要塞」へと発展する。これには、ク6の影響が大きいのだが、滑空機という、空力特性をあまりシビアに考えなくてもよい機体の性格も、幸いした。

 本機をただの滑空機ではなく、飛行要塞と称する最大の所以は、砲(38式野砲)を装備した点と、平坦地であれば自走も可能(ただし、人力による)な点にあった。

 初号機は昭和16年11月に進空した。

 飛行や着陸の安定性についてはまずまず及第点であったものの、火砲の急速な発達により、装甲がもたないことが判明した。かといって、これ以上装甲を厚くすることは、飛行性能に深刻な影響を及ぼすとあって、量産は見送られることとなった。

 大戦末期。それまでお倉入りしていた本機は、再び玉砕覚悟の特攻機として復活する。が、既に制空権はなく、結局実現しなかった。

 なお、本機はその性格から滑空機には分類されず、従ってク系列ではなくキ系列となっている。

特徴

・主翼は複葉形式。
・主尾翼とも、木製。

諸元

・全長:?m
・全幅:?m
・乗員数:2(操縦士、副操縦士。着陸後は砲手となる。)

各部詳細