艦上戦闘攻撃機「新星」


経緯

 零戦や99艦爆が、実戦配備され始めた昭和15年夏。海軍と航空機メーカーの一部有志の間では、空母での艦上機の運用を考えた場合、部品類はできるだけ共通化しておいたほうが、効率がいいとの認識が出始めていた。

 彼らは「菖蒲(あやめ)会」という名の研究会を結成し、この問題の追求を始めた。
 議論が進むうち、彼らの発想はさらに一歩進んで、機体そのものの共通化、即ち戦闘機、爆撃機、攻撃機、さらには偵察機の機能までを一機種で賄おうという、極めて革新的なアイデアにまで発展する。
 このアイデアは「A(All in one)計画」と名付けられ、詳細の検討に入った。
 一般に戦闘機は単座、爆撃機は複座、攻撃機と偵察機は三座であり、ここが機体を共通化する上での最大の課題となった。
 まず、戦闘機以外の機種は複座とすることが決められた。これで課題は、単座と複座をどう共通化するか、に絞られた。
 会の中では幾つかの案が出されたが、結局ユニット交換式で、単座、複座のどちらにも対応できるようにするのが一番という結論に達した。

 この案では、機体は大きく、機首、後部座席部、機尾、中央翼I、中央翼II、外翼から構成される。そして、これらユニットは目的に応じて、以下のように選択される。
 戦闘機(単座):機首、機尾、中央翼I、外翼
 その他(複座):機首、後部座席部、機尾、中央翼II、外翼

 この変更は、通常は工場内で行うが、艦内でも可能なように考えられていた。

 日米開戦が決定的となった昭和16年後半には、参加メンバーもそれぞれ多忙を極めるようになり、研究会は最終設計案「菖蒲(しょうぶ)」をまとめて、一年余りの活動を終えることとなった。

「菖蒲」は、
・空母上での取り回しが容易で、かつ搭載機数を増やせるような、極めてコンパクトな機体設計。
・いずれの形態でも最高の性能が発揮できるような、強力なエンジンを搭載。
・組み立て式ながら、ダイブにも絶えられるだけの堅牢さをもつ。
という、当時の水準を大きく超える、いわば理想形のかたちでまとめられていた。

 これは、会の趣旨がどちらかといえば、酒を片手に私的な夢を語り合うことにあったためでもある。

 昭和19年4月。戦局は悪化し、主力空母や航空機を次々失っていく一方で、多くの機種を製造するためのラインの調整に頭を悩ませていた軍首脳の一人が、偶然「A計画」の存在を知るや、直ちに開発が決定された。それも「菖蒲」を上回る要求が付加されてのことだった。

 当然、旧菖蒲会メンバーは反対した。が、無駄だった。

 昭和20年3月。制式に「新星」と命名された、最初の機体(単座型)がロールアウトした。
 直ちに初飛行を行うも、旧菖蒲会メンバーが危惧したとおり、要求性能は全く出なかった。エンジンも燃料も機体材料も工作技術も「菖蒲」が要求していたレベルからは程遠かったからだ。

 それでも無理な飛行を繰り返した結果、4度目の試験飛行ではついに、各ユニットの結合部が一瞬にして引き千切れるという事態により、空中分解を起こした。幸い、ユニット自体の破壊は免れたため、パイロットはかろうじて脱出に成功し、命拾いした。

 結局、複座型の完成目前で開発は中止された。

特徴

「菖蒲」
・各ユニットには、多目的化のための工夫がこらされていた。
 ・後部座席部:爆撃、雷撃兼用の照準装置。マウントは偵察用カメラと同規格化。
 ・中央翼II:高揚力発生用フラップ兼ダイブブレーキを装備。
・外翼と中央翼の結合部は、折り畳み部を兼ねる。

「新星」
 基本的に「菖蒲」のコンセプトを継承するものの、随所に簡略化、代替化がみられた。
 これらについては、あえて記すこともない。

諸元

・全長:?m
・全幅:?m
・エンジン:
・乗員数
 ・単座型:1
 ・複座型:2(操縦士、爆撃手)
・兵装
 ・中央翼I内に、20mm機関砲4門(戦闘機)
 ・胴体下に、500Kg爆弾1発(爆撃機)、または800Kg魚雷1発(攻撃機)

各部詳細