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第五章


「あれは明和二、三年ごろじゃったかのぅ。当時、わしはよく江戸のオランダ人旅篭、長崎屋に出入りしていた。そこで不思議な西洋人に会ったのじゃ。その男は錬金術師、といっても腕は二流じゃったが…」

「そいつは本国で、たまたま手に入れた『不死の秘薬』の製法書にとりつかれて、遠く東洋までやってきた。秘薬となる原料が、東の彼方の地に産するとあったからじゃ。奴は初め、中国に謎を解く鍵があるとみて、全土を彷徨ったそうじゃが、やがて、日本にあるらしいとの噂を聞きつけて、渡ってきた…」

「だが、中国と違って当時の日本では、外国人一人が自由に歩き回ることは、許されんかった。奴もあれこれ手だてを講じたようじゃったが、結局あきらめるか、禁を破って命懸けで探すかの、どちらかの選択を迫られておった。わしが奴と出会ったのは、そんな時じゃった…」

「当時の西洋人は皆そうじゃったが、日本は未開の国という意識があった。だから、わしがその製法書を見たいと請うたら、どうせ理解できんと思ったんじゃろ、肝心の調合の部分は除いてじゃったが、惜しげもなく見せよった…」

「ところが、奴にも理解できなかった部分を、わしがあっさり解いてみせたんじゃ。それで、やっこさんびっくりしおってな。わしに、調査と収集を託すことに決めた…」

「三年の猶予を残して、奴は一旦日本を去った。長期の滞在は、お上に怪しまれるからな。残ったわしは、日本全国を探し回り、やっとのことで原料の産出する地を探し当てた。三年後、奴は再び現れた。カピタンのヤン・クランスの随員としてな…」

「わしは原料を差し出した。それから、奴と一緒に秘薬の調合に取り掛かった。やがて、薬は完成した。そして、奴自らが実験台となって服用した。だが実験は失敗し、奴は死んだ。わしは奴の残した調合書を徹底的に解析して、誤りを見つけた…」

「それは、秘法の意味を正しく理解した者だけが手にすることができるよう、あらかじめ仕掛けられた、一種の罠だったのだな。わしはその誤りを正して、完成させた薬を服用した。そしてこれ、ご覧の通り」
 老人は軽く両手を拡げて、破顔した。再び、紅茶をすする。

「どうして、つけ狙われるようになったの?」
 綾華が尋ねた。

「不死の秘薬は、あちこちで研究されている。わしを狙う秘密結社もその一つじゃ。例の男が、死ぬ直前に本国の兄に送った手紙が、回りまわって秘密結社の手に入った。勿論、わしのことも記されていた。かれこれ二年ほど経つかの、狙われるようになって」
 老人は、残っていた紅茶を一気に飲み干した。

「でも、どうして居場所が分かってしまうのかしら?」
 綾華は、不思議そうに呟いた。

「例の硝子壜に封じられた、青い石じゃ。あれの中身は、秘薬の調合の中間段階で生成される副産物での。一種の霊力のようなものを発するので、おそらくは奴等の中に霊能力者でもおるんじゃろ、そいつが感知して追ってくるようじゃな」

「今でもその秘薬はあるの?」綾華の問いに、
「いや、ない」老人は、即座に答えた。
「でも、作り方は?覚えてるんでしょう?」綾華が応じる。

「さあな。調合書はとっくに紛失しとるし、あれからだいぶ時間が経ったので、記憶も曖昧じゃし、今でも作れるかどうかは…」
 老人は深々と、ソファに沈み込んだ。無論、本当にそうなのか、本人以外にはわからない。

「そのこと、連中は知ってるのか?」
 それまで黙って聞いていた春吉が、口を開いた。
「勿論。何度も話したよ」

「じゃ、なぜ狙われる?」春吉は、自然、詰問調になっている。
「できんと言って、それを信じる奴等ではない。それに、いざとなったらわしの血を啜り、肉を食らうつもりなんじゃろ」
 老人の口の端が、吊り上がった。

「それで本当に効果あるの?」綾華が、顔をしかめながら聞いた。
「さあな。試したことはない」
 しばし沈黙が流れた。だが、それも束の間、

「まだまだ他にも、聞きたいことが沢山あるわ。江戸時代って…」
 身を乗り出すようにして畳み掛けてくる綾華を、老人は、
「あー、わしも疲れた。今日はこの辺にして、また明日。なに、時間はたっぷりあるって」
と、制した。

 綾香は不満そうだったが、老人がそれ以上乗ってきそうにないのを見て取って、渋々、
「分かったわ。寝室に案内するから、ついてきて」
 と席を立った。三人は、二階へと上がった。

「二人で好きな方を選んで」綾華が、廊下奥にある二つの部屋を差し示した。
「いや、わしらは一緒で構わん。のう」
 老人が春吉に目で合図した。無論、翌日の朝二人で抜け出すには、その方が都合がいからだということは、春吉にもすぐに分かった。春吉に異存はなかった。

 部屋の中は、一階の居間に負けないほど広かった。そこでは豪華なダブルベッドも、まるで長火鉢のように小さく見えた。
 物珍しそうに、ベッドの感触を味わっている春吉に、
「それはおまえが使え。わしは西洋の寝具は好かん」と言って、老人はソファに横になった。

 春吉は、試しにベッドに潜り込んではみたものの、暫く寝返りを打っていたかとおもうと、結局、床に毛布を敷き、布団を一枚だけ掛けて寝た。

 翌早朝。ようやく空が白んできた頃、二人は身仕度を整えて外に出た。が、
「二人とも、黙って出ていくつもり?」
 振り返った二人の目に、ドアの影で仁王立ちしている綾華の姿が映った。

「やっぱりそうだと思った。あたしを残して、どこへ行こうというの?」
 綾華の声には、無視された憤りと予測が当たったことへの快感が、ないまぜになっていた。

「一段落ついたら、ちゃんと礼には伺うつもりじゃった。無礼は許してくれ。これ以上は危険だ。あとはわしらだけで行く」
 源内が、あやすように言った。

「もう十分、危険な目にあってるわ。ここまできて、後には引けないわ。あたしも一緒に行く」
 気が付けば綾華は、乗馬用のロングのキュロットスカートを履き、髪をポニーテールに束ねている。決意のほどは、ありあり見て取れた。

 やれやれといった風情で、源内と春吉が顔を見合わせた時だった。
「ここまでだな、源内」男の声が、辺りの静寂を破った。

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