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第二章


 その夜、春吉は妙に外が騒がしいので目が覚めた。まだ真夜中のはずだ。寝ぼけ半分で窓の方に目をやった春吉は、障子の向こうに赤い影がちらちら揺らめくのをぼんやりと感じた。再び寝ようとした春吉の頭が、一瞬にして冴えた。
 火事だ。

 春吉は、急いで藤太を起こすと一階に駆け下り、階段室の戸を荒っぽく開けた。
 驚いた事に、老人は既に身仕度を整えて正座していた。
「じいさん、なにやってんだ。早く逃げないと焼け死ぬぞ」春吉が叫んだ。
「もうしばらくまて。今出ると危ない」
 老人が、昼間とは打って変わった真顔で答えた。

「お、俺は逃げるぞ。まだ死にたかねぇ」
 言うなり、藤太は炎を上げる作業場の入り口を駆け抜け、外に出た。その後を追おうとした春吉の手を、老人が引き止めた。それは年寄りとは思えない、強い力だった。
 バリバリ…というけたたましい音が鳴り響いた。同時に、藤太がまるで舞を舞うようにして、ゆっくりくずおれた。

「なんまんだぶ」老人が手を合わせた。
 春吉には、何がなんだか分からなかった。
「おい、しっかりしろ」「お、生きてるぞ」「戸板もってこい」
 外では、近所の連中の怒鳴り合う声が響いていた。

 よかった。春吉はほっとしたが、それも一瞬だった。
「さて、わしらもそろそろ出るとするか」
 老人が杖を手に、ゆっくり立ち上がった。

 既に火の手は、作業場全体を包んでいた。その様子を、親方をはじめ近所の人々は、ただ茫然と眺めていた。
 まさに建物が崩れ落ちようとしたとき、中から炎の塊が飛び出してきた。人々が呆気に取られる中、火の玉は猛烈な勢いで通りを駆け過ぎていった。

 あっけにとられていたのは、野次馬だけではなかった。向かいの家の屋根に潜んでいた、黒装束の男も同様だった。この男こそ、さっき藤太に傷を負わせた奴だった。
 手には銃が握られていた。だがそれは、その当時主流のボルトアクションライフルとは、ちょっと違うものだった。
「ちっ」男は舌打ちをすると、屋根から軽々と飛び降り、音もなく走り去った。

 駆け抜ける火の玉が、ふわりと宙に舞った。良く見ると、それは自転車をすっぽり覆うための帆布製のカバーだった。表側に油を塗ってあったので、それが燃えていたのだ。
 その後には、必死になって自転車を漕ぐ春吉の姿があった。その後ろには、しっかり老人が座っている。

「どこまで行きゃあいいんだ、じいさん」春吉が、息も切れ切れに叫んだ。
「力の続く限り漕げ。できるだけ離れるんじゃ」
 春吉は言われるままに、ただひたすら自転車を漕いだ。

「それにしてもさすがじゃ。たった一日で居場所を突き止めおって」
 老人は、感心するように呟いた。
「なんのこと?」
「説明はあとじゃ。今はとにかく漕げ」


「じいさん、あんた一体何者なんだよ」
 夜も白々明けようという頃、草むらの中に腹這いになって並んでいる老人に向かって、春吉が尋ねた。
「だから言ったろう。諸国を漫遊するのが道楽の隠居じゃと」

「ただの隠居が住処に火つけられたり、鉄砲で命狙われたりするかよ」
「まぁ、そう興奮するな。家の住人に気付かれるぞ」
 春吉はあたりを見回したが、変化はなかった。二人が潜んでいるのは、さる豪邸の広い庭の片隅だった。

 春吉がへとへとになってもう動けなくなったとき、この屋敷の塀が目に飛び込んできたので、咄嗟に入り込んだのだった。実は、この屋敷には何度か入った事があったので、春吉は勝手を知っていたのだ。

「さて、どうするつもりじゃ。ずっとここにおる訳にもいかんだろう」
 老人が他人事のように言った。
「ったく、そもそもの張本人はあんただろ。よくそんな呑気なこと…」
 と、今はそんなことを言っている場合ではなかった。

「とにかく、家の人に気付かれる前にここを出よう」
 春吉は身を起こし、老人が後に続いた。

 二人が茂みをぬけて、裏口へ向かおうと母屋の渡り廊下を曲がったとき、だしぬけに人影が現れた。その目が見開かれ、口が開こうとしたのを見て、春吉はとっさに口を塞いだ。おかげで、悲鳴は漏れなかったものの、春吉の手にしっかりと歯形がつくことになった。

 暫くの後、ようやくお互いが冷静さを取り戻したところで、春吉はその手を離した。
「なにやってんのよ、あんたたち」
 小声で、しかし詰問口調で問いただしたのは、あの石崎綾華だった。
「それに何?その格好は」

 二人はすすけている上に、髪の毛は焼け焦げ、すり傷だらけという有り様だった。
「おまえこそ、こんな時間になにやってんだよ」
「あ、あたしは…」綾華の頬が、ほんのり赤く染まった。
 綾華のそんな態度を見て、春吉は廊下の先にあるのが御不浄であることに、ようやく気付いた。

「とにかく時間がない。俺達は命を狙われてんだ。かかわるとおまえも危ない。早く部屋に帰って一歩も出るな」春吉は照れ隠しもあって、命令口調でまくしたてた。
「どういうことよ?」が、綾華も黙ってはいない。
「だから説明している暇はないんだ」

「だめ。人んちに無断で入り込んで、ちゃんと納得のいく説明をしてもらわねければ、一歩足りとも出さないわ」
 進退に窮した春吉は、助けを求めるように老人を振り返った。
「よかろう。説明しよう。だがここではなんだな。どこか適当な場所はないか」

 少女は暫く考えていたが、
「いいわ。ついてきて」そういうと、二人を正門横の車庫に案内した。
 三台のうちの一台に乗り込む。
「ここなら大丈夫。さ、話して」

 どうも少女は、まるで冒険活劇の話しを聞くかのように、嬉しがっているように見えた。そのことが、さらに春吉の苛立ちを募らせた。
「わしの名前、『福之内喜外』は実は正しくは『福内鬼外』という。どっかで聞いた事ないか?」

「いいや」春吉が無愛想に答えた。
「いいえ…あ、ちょっと待って。聞いた事あるような気が…」少女は記憶を探るように目を宙に泳がせていたが、
「思い出したわ。平賀源内の筆名ね」

「おじさまが、あの平賀源内?」
 綾華は吹き出しそうになるのを必死でこらえた。春吉は何のことかわからず、
「何がおかしいんだよ。それに源内って誰だ?」
と、綾華に詰め寄る。

「平賀源内ってのはね、今から180年位前に生まれた博物学の天才と言われた人よ。もちろん、とっくに亡くなってるわ。たしか、獄死のはず」
 綾華は、春吉から老人の方に視線を移すと、
「えっと、じゃ、おじさまは源内さんの子孫?でも、源内さんって、お子さんいたのかしら」と尋ねた。

「いいや、間違いなく本人じゃ。まぁ、信じる信じないはおぬしらの勝手じゃがな」
 老人は、格別動じる様子もなかった。
「ってことは180歳?まっさかぁ」
 春吉は、うさんくさそうに老人を眺めた。が、

「ん、まあいいや。それはちょっと置いとこう。で、なんで命を狙われてんだ?それに、そもそも誰に狙われてんだ?」と、話を先に進めにかかった。
「理由はじゃな…」

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