ホーム創作ストーリージュリーとまりん>第五章

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第五章


 スペースポートのロビーは、大勢の人でごったがえしていた。
 なにせ、スペースポートは全世界でたった七箇所しかなく、中でも極東地区はここ八丈島だけであり、潜在利用密度の高さでは段然トップだった。

 新空港の開設を求める声は、今や非常な高まりをみせていたが、連邦政府がなかなか首を縦に振らないわけは、すでに説明したとおり入出国管理上の問題があったからだ。連邦の一部には、今の七つでも多過るくらいだという意見が根強くあった。その裏には、地球外自治体 −ちなみに月の自治体数は四、火星は二である− に対する不信の念もふくまれていた。

 地球外植民地が、事実上の地球からの独立ともいうべき自治権を獲得してから月で三十年、火星に至ってはわずか六年しかたっていない。その政治的、経済的基盤はまだまだ不安定だった。そのため、犯罪シンジケートにとって、これら地球外自治体は絶好の温床となった。しかも自治体の中には自らの力不足を補うために、犯罪シンジケートの組織力と資力を積極的に利用しようとする動きすらあって、その権勢たるや目を見張るものがあった。

 が、それは地球圏からみれば、この上なく危険な存在であった。なぜなら、犯罪シンジケートにとって最大の収入源は地球上の非合法組織との密貿易であったからだった。
 密輸出入品には、ありとあらゆる物が含まれていた。地球から持ち出されるものには、美術品や骨董品、野性動物、加工された貴金属品、などがあった。反対に持ち込まれる物としては、レア・メタル、核物質、武器、そして極めつけが麻薬だった。

 今日の取り引きは、火星に本拠を置く麻薬シンジケート”レッド・ドラゴン”と、極東地区最大の地下組織”アイアン・シャーク”との間で取り交わされるものだった。
 既にアイアン・シャークの末端連絡員は逮捕済みであり、この取り引きが成立したと同時にトップに対する検挙作戦が、別のチームによって遂行される手筈になっていた。だが、レッド・ドラゴンに対しては、地球連邦は一切手出しできない。取り引きに現われた連絡員を逮捕するぐらいのものだ。この辺に、密貿易を根絶やしにできない根本的原因があるのだった。空港の削減も、この辺の事情を考えると、あながち的外れな議論ではないのだった。

「いい、落ち着いて。何も心配することはないからね」
 ジュリーが言った。
「はーい。先輩といっしょですもん。なんにも心配はしてませーん」
 まりんが答えた。
「そう。私がついてるんだから」
 ジュリーが胸を叩いて見せた。だが、態度や話の内容と裏腹にジュリーの方が緊張しきっていて、逆にまりんにはそのかけらも見られなかったのだった。

 二人は、空港ロビーの中央にある待合ラウンジにいた。ここで、取り引きが行われる手筈になっていた。わざわざこんな雑踏の中で取り引きが行われるということに、二人は違和感を感じていたが、それには相当の理由があった。まず、人が多い方がかえって目立たないということ。次いで、もし官憲に摘発されたとしても、周りの民間人を巻き込むことによって、事態を有利に展開することができる。

 ジュリーは時計を見た。約束の時刻、二分前だった。
 ジュリーは辺りを見回した。周りの人間誰もが連絡員のようでもあり、また、違うようでもあった。
 突然、電子ブザー音が鳴った。
「うわーっ」
 ジュリーが飛び上がった。ブザーの音が、自らの時計にセットしたアラームであることに気が付いたのは、飛び上がった後だった。

「あ、あはは」
 びっくりしたように注目している周りの人達に、ジュリーは相想笑いで応えた。
「まったく、心臓が止まるかと思ったわ。だいたい、教官がいけないのよ。私はいいって言ったのに、ぶつぶつ…」
「あの、せんぱい」
 まりんが、時計に向かってぶつぶつ呟いているジュリーの腕を引っ張った。

「なによ、うるさいわね」
 ジュリーが腕を振りほどこうとして、まりんの方を見やった瞬間、ジュリーは再び叫び声を上げそうになって、慌てて空いている方の手で、口を押さえた。
 まりんの後に、二人の大男が、そびえるように立っていたからだった。身長は二人ともゆうに二メートルを越えている。

 ジュリーは、この二人が取り引きの相手だと一目で分かった。なぜなら、…、その出で立ちがあまりにも異様だったからだ。
 黒のスーツ、黒のエナメル靴、白のYシャツ、ダーク・レッドのシルクのネクタイ、黒のソフト帽、そして黒のサングラス。極め付けはスーツの襟に差した一輪のばらの花だった。
 今時、こんなアナクロニスティックなファッションに身を包んでいるのは、その筋の人間以外、いるはずもなかった。

 ジュリーは押さえていた手を口から離したが、口は空いたまま閉がらなかった。もちろん、開いた時と理由が違うのは言うまでもない。
「お嬢さん、そのうさぎさんは男の子ですか」
 ダークスーツの一人が言った。バリトンの痺れるような美声だった。ただし、内容を無視すれば、の話ではあるが。

−きた−
 ジュリーは、動悸が一段と早くなるのを感じた。これは合い言葉なのだった。これだけ科学技術の発達した世の中で、相手を確認するのに、合い言葉などよりもっと簡単で確実な方法が山ほどある。ジュリーには、マイクたちからこのことを聞かされたとき、理解できなかったのだが、彼らとじかに接してみて理解出来なかった部分が少し解ったような気がした。

 彼らは、云ってみれば、古いタイプの人間なのだ。何よりも格式を重んじる。そして、その格式は古ければ古いほど価値が高い。男達の服装にしても、取引方法にしても、これらは皆過去の古き良き時代の遺産なのだった。今やほとんど失われてしまったロマンティシズムが、このような連中の間では今だに生き続けているということは、時代の皮肉というべきか。

 しかし、今はそんなことを考えているときではない。ジュリーは合い言葉を返すべく、口を開きかけた。
「やーね。これは女の子よー。スカートを穿いているのよ。見れば分かるでしょう」
 声の持ち主はジュリーではなく、まりんだった。タイミングを外されて、ジュリーはあやうく前にのめりそうになった。

−この娘、度胸が座ってるのは分かってたけど、演技力もたいしたものだわ。あんなにさらりと言ってのけるなんて。…まって。合い言葉の話をしてたとき、確かあの娘、トイレに行ってていなかった筈なのに、どうして…−
 上目使いにまりんを見やったジュリーの目に、屈託のないまりんの笑顔が映った。ジュリーは背中に冷たいものが流れるのを感じていた。

「結構。では」
 バリトンの男は相棒 −この時代には珍しく、口の上にクラーク・ゲーブルばりの髭を生やしていた− に目で合図した。相棒は頷くと、手に下げたブリーフケースを差し出した。
 ジュリーはブリーフケースを受け取ると、
「さ、渡して」
 と、まりんに言った。

「え。何をですか」
 まりんがきょとんとした顔で、聞き返した「ぬいぐるみよ。早く渡して」
 ジュリーが苛らつき気味にいった。こんなところで手間取っていては、相手に感づかれないとも限らない。
「どうしてですか。あたしこの子、気に入っちゃった。やですよー」
 まりんがふくれてみせた。

「なにばかなこと言ってるのよ。いいから渡しなさい」
 ジュリーはぬいぐるみに手を掛けると、まりんから引き剥がそうとした。
「なにするんですか。止めてください」
 まりんも簡単に手放そうとしない。とうとう奪い合いの喧嘩になってしまった。

 驚いたのはダークスーツの二人組である。彼らは色々な取引相手を見てきた。中には囮の捜査官もいたし、物だけ奪って彼らを消そうとした相手もいた。だが、彼らは持ち前の感の良さと、鍛え抜かれた肉体を駆使してそれらの修羅場を潜ってきたのだった。
 が、こんなことは始めてだった。男達はなすすべもなく、ただただ事態を見守る以外になかった。

「いいこと。このぬいぐるみには彼らに渡す代金が入ってるのよ。あんた教官の話、聞いてなかったの」
 ジュリーが取っ組み合いながらも、まりんの耳元で囁いた。
「だって、あたし、…」
 まりんはすでに半べそをかいていた。

「分かったわよ。あとで私が同じ物、買ってあげるから」
 ジュリーがなだめるように言った。
「え、ほんとですか」
 まりんがぱっと手を離した。その反動で、ジュリーは床に尻餅をついた。
「いったいわね、全く。あんた、どういう性格してるのよ」
 大声で言った。ジュリーは今や自分の置かれた状況など、全く思考の外へ出てしまっていた。

「だってえ、離せっていったのは先輩ですよ まりんも負けずにやり返した。
「いいかげんにしなさいよ。ああ言えばこう言う。ほんっとにかわいくないんだから」
 この頃になると、周りの人たちがちらほらと二人のやりとりを注目する、といった事態に陥っていた。
 このことに先に気が付いたのは、ジュリーの方だった。

「あ、あはははは」
 得意の相想笑いで、その場をしのいだ −例によって、本人はそのつもり− ジュリーは、手に持ったぬいぐるみをダークスーツの二人組に差し出した。
 バリトンの男がぬいぐるみを受け取った。男の顔は、苦虫を噛み潰したように歪んでいた。当然である。そもそも人に紛れることによって自分達を目立たせなくするのが、ここを選んだ目的であったのに、それがこんなさわぎを起こしてしまっては、まったくの逆効果だったからだ。

 男にしてみれば、初めから違和感がないこともなかったのだ。そもそも、ぬいぐるみを目印兼現金の入れ物に指定したのは、男達の方だった。大勢の人間に中から目的の人物を素早く見付け出すには、それは絶好のアイテムだったからだ。なぜなら、取り引きに現われる女達の発する匂いとぬいぐるみのもつ匂いがちぐはぐで、容易に目に留まるからだった。事実、今まではそのお陰で簡単に相手を探し出すことが出来ていたのだった。

 それが今回は全く違っていた。数分前、男達は取り引きの相手を見つけるべく、待合ラウンジ全体を見下ろせる場所から視線を巡らしていた。が、結果的にはこの広いラウンジの中でぬいぐるみを抱えた女はたった一人しかいなかったにもかかわらず、男達はしばらくの間、それに気付けなかったのだ。
 それほどまでに、持ち主と持ち物の匂いが見事に一体化されていて、わずかばかりの違和感もなかったのだった。

 さりとて、その匂いはいわゆる囮捜査官のそれとも、また違ったものだった。捜査官には特有の殺気だった匂いがあるのだが、二人には、そんなところは全くなかった。だから彼らは多少の違和感はあるものの、近づいてきたのだった。
 今になって二人の男はいくぶん早まったかな、という思いにかられていたが、ともかくも予定通りに取り引きは終わったのだ。

「では、これで」
 バリトンの男はぬいぐるみを口髭の男に渡すと、その場を立ち去ろうとゲートの方へ向かいかけた。
「ちょっと待って」
 背中からジュリーの声が聞こえた。振り返った男の目に、蓋を開けたブリーフケースを捧げ持ったジュリーの姿が映った。

「どういうこと、中身が入ってないじゃない「お前達が心配する事ではない。そのまま持ち帰れ」
 と言って立ち去ろうとした男は再び振り返ると、
「おい、なぜ中身のことを聞く。お前達はただケースを受け取ってこいとだけ命令されているはずだ。…ということはお前ら」
「しまった。感づかれた」

 これはSFBI空港事務所でモニターを見ながら事態の成り行きを見守っていたマイクの声だった。
「いっぱしの捜査官気取りで、余計なことしやがって。いくぞ」
 スミスに声を掛けたマイクは、すでにドアに向かって走り出していた。
 当初の予定では、二人は荷を受け取るだけで、後はマイクとスミスに任せる手筈になっていたのだが、ジュリーが先走ってしまったのだった。

 ジュリーは躊躇したものの、こうなってはやれるところまでやるしかなかった。
「SFBIよ。手を上げて」
 ジュリーはブリーフケースを足元に置くと、ショルダーバッグからピストルをとり出して構えた。マイクから渡されたSFBIの制式ピストルで、普段訓練でも使っているものだった。

 この銃は銃身が縦二連になっていて、一つは衝撃波を発生させるショックガンで主に対人用、もう一方は高出力のレーザー光線を射出するレーザーブラスターで主に障害物排除用としての機能をもっていた。二つの機能は、グリップの上部についたセレクターレバーで切り換えられるようになっている。
 それまでなんとなくジュリー達のことが気になっていた辺りの人達は、ジュリーがピストルを構えるのを見て、さっと後退った。

 もやもやしていたバリトンの男の感覚がやっとふっ切れた。やはりこの女達はイヌだったのだ。いまさらのように後悔の念が襲ってきたが、もう遅過ぎた。男にとってこれは一世一代の失態といえた。その負目が男の判断を狂わせた。ここは、とにかく一旦は引き上げるべきだったのだ。そうすれば捜査陣に対しても、相手に感づかれたから空のケースを渡して金だけ奪おうとした、と思わせられたのだ。なにせてっきり中身が詰まっていると思っていたケースが空だったのだから。

「お嬢さん。そんなぶっそうなものはしまって、そのケースを返してもらおうか」
 男の豊かなバリトンは、諭すような口調だった。
「そんなもん振り回して、周りの人に当たったらどうするんだい。ただじゃすまないぜ」
「セレクターはショックガンになっているわ。周りの人には影響ないわ」
 ジュリーはピストルを構える姿勢を崩さずにきっぱり言った。

「俺たちにそんなものが通用するものか」
 男は腕を拡げ、胸を反らせた。確かに男の体格を考えると、あながちはったりでもなさそうだった。
「レーザーブラスターに切り換えたらどうだ。もっとも、そうしたら正確に俺をヒットしたところで、俺の身体を突き抜けたビームがあと何人の命を奪うか、楽しみだがな」
 男はにやりと笑った。凄味のある笑顔だった。

 ジュリーはどうすべきか迷っていた。モニタを見ていたマイクとスミスはすでにこちらへ向かっていることだろう。だが、どう急いでも四・五分はかかる。それまで持ちこたえられるか、ジュリーには自信がなかった。
「さあ、ケースを返せ」
 男が一歩踏み出した。

 ジュリーは急いでケースを取り上げると、まりんに押しつけた。
「走って。教官達のところへ」
 ジュリーは男から視線を離さずに叫んだ。「え、あたしがですか」
「あんたしかいないでしょう。いいから走るのよ」
 ジュリーはまりんの身体を突き飛ばした。その勢いで床に転がったまりんは、そのまま一回転して座り込んだ。

「さあ、これをもっていくのよ。追いつかれそうになったら射って」
 ジュリーはピストルを床を滑らせて、まりんの足元へやった。
「あたしこんなの持ったことないし、使い方も分かんない」
 まりんの不安そうな声が聞こえた。
「とにかく、引金を引けばいいのよ」
 ジュリーが怒鳴った。

 まりんはピストルを拾うと、一目散に空港事務所の方へ走り出した。
「待て」
 口髭の男がまりんを追おうとしたが、ジュリーが進路を塞いだ。そのジュリーに向かって、バリトンの男が蹴りを入れてきた。素早い動きだったが、ジュリーは身体を捻って、かろうじてかわした。が、そこに生じた一瞬の隙を突いて、口髭の男がジュリーの脇を摺り抜けた。

「あ」
 ジュリーは口髭の男を追おうとしたが、再びバリトンの男のキックが襲いかかってきた「まてまて。あんたの相手は俺だ。さっきの蹴りをかわすなんざ、なかなかのもんだ」
 男はジュリーを牽制した。
 まりんはコンコース内を行き交う人を押しのけるように事務室の方へ向かっていたが、ひげの男はまりんを確実に追い詰めていた。いくらまりんの脚が速いといっても、所詮鍛え上げたプロの比ではなかった。

 後を振り向きながら逃げるまりんにあと少しのとこまで迫った男は、ポケットから何かを取り出し、僅かに指を動かした。男の掌からきらりと光るものが飛び出した。ナイフだ それを見たと同時に、まりんは旅行者が置いていた荷物に足を取られ、その場に倒れ込んだ。男はなおもスピードをゆるめずにまりんに近づいた。
「きゃーっ。こないで」

 まりんの叫び声が、そして声のした場所から三条の光束がほとばしりでた。まりんがピストルを、それもほとんど目をつぶって無我夢中で射ったのだったが、発射されたのはショックウェーブではなく、なんとレーザービームだったのだ。確かにジュリーが持っていたときには、ショックガンがセレクトされていたはずだったのに、いつの間にか、おそらくはまりんに渡すために床を滑らせたときにセレクターがずれて、レーザーブラスター側に入ってしまったのだろう。射つ前にセレクターを確認するのは初歩中の初歩なのだが、しろうとのまりんにそれを要求するなど、どだい出来ようもなかった。

 驚いたのは射った本人より、むしろ周りの人間だった。
 マイクとスミスは、ブラスターが発射されたとき、ちょうどロビーに飛び出してきたところだった。二人は勿論何が起こったのか、そしてその後とるべき処置は何かをすぐに理解して、直ちに行動に移った。マイクは、
「怪我をした人はいませんか。周りに怪我をしている人はいませんか」

 と、大声で叫びながら辺りを見回した。何事が起こったのかとざわつく人々のうちの何人かが、マイクの声に反応して彼の方を注目したが、異常を訴える人間はいなかった。そんな中で、マイクはダークスーツの男と対峠しているジュリーを見つけ、スミスに、
「俺はジュリーを援護する。お前はそっちを頼む」
 と声をかけ、走り去った。

 スミスはそっち、すなわちまりんと口髭の男の方に近づいていった。
 まりんは相変らず床に座り込み、銃を構えたままの姿勢で動かなかった。男の方は床に大の字になって倒れていた。意識を失っているようだった。

 スミスは男に近寄った、が、男の顔を見て暫し呆然としてしまった。男はかぶっていたソフト帽の中央をレーザー光線で焼かれ、おまけに髪の毛までがきれいに溶かされていて、頭の真ん中だけ真っ赤に腫れた地肌が剥き出しになっていた。更によく見ると耳たぶの両方ともが、同じように腫れ上がっていた。察するところ、まりんの放ったレーザービームが三本とも男の頭をかすったらしい。もちろんまりんが初めから狙ったとは思えない。まさに奇跡とも云える事態だった。いくら男がプロとはいえ、気を失って当然といえた。

 スミスはまりんの構えた銃の位置と、男が立っていたと思われる位置から、レーザー光の飛び先を素早く推定した。案の定、遥か先の壁に三つの焼け焦げがあるのが見つかった。まりんが座った姿勢で射ったのが幸いしたようで、この射線ではコンコースにいた人間には当たり得ないと思われた。事実、怪我人が出た気配は未だになかった。
 スミスは持っていた手錠を男の両手首に掛けると、駆け着けた空港警察署員に連行するように命じた。

 そして、まりんに近づくと放心状態の彼女の手からピストルを外し、軽く頬を叩いた。
「おい、しっかりしろ」
「…あら。あたしどうしたのかしら」
 まりんはやっと正気に戻ったようだった。だが、喋り方がいつもとちょっと違う。まだ戻りきってはいないようだった。
「安心しろ。もう大丈夫だ。それにお手柄だぞ。犯人を逮捕したんだからな」
 スミスが優しく言った。

 まりんの意識が戻るにつれ、彼女の目から大粒の涙が溢れ出してきた。
「あーん。恐かったー」
 大声で泣きながらスミスに抱きついた。
「よしよし。もう終わりだ」
 スミスはまりんの背中を軽く叩くと、マイクが走り去った方に視線を回した。
 マイクが駆けつけた時、ジュリーは依然としてバリトンの男と睨み合ったままだった。二人を中心にして半径七・八メートルの円の外側は、既に黒山の人だかりだった。そのため、マイクは大声で道を空けるように叫んではいたものの、なかなかジュリーに近づくことが出来ずにいた。

「いい加減に観念したらどう。どう考えても逃げられないでしょう。この状況じゃ」
 ジュリーは目を動かすことで、周りに集まる人達を示した。
「それはどうかな。こいつらの二・三人も人質に取れば、お前さん達も手が出せまいて」 男の声は相変らず落ち着きに満ちていた。 ジュリーは言われてみて気がついた。確かに男が言うとおり、人質を取られたら手も足も出ない。

 そこまで分かっていて、ではなぜそうしないのか。ジュリーは訝しさを感じた。
 それは男がいい意味でも、悪い意味でもプロだったからだ。彼にはプロの世界の流儀が考え方に至るまで、完全に染み込んでいた。だから、彼の身の回りで起こった出来事全てを彼の世界での常識で推し計ってしまわずにはいられないのだった。

 この場合、彼の判断を迷わせたのは、さっきのまりんが放った光の筋だった。彼の常識に照らしてみて、このような状況で普通の捜査官がレーザーを射つなど考えられないことだった。射った以上はその射手は普通ではない、即ち狂っているかまたはとびっきりの凄腕か。これまた男の常識からして、前者であるはずはなかった。ということは…、人質など取ったところで確実にヒットされる。男がどうしても行動に移れない理由はそこにあった。ジュリーと男は互いに動けないまま、無為に時間が過ぎていった。

 ようやくマイクが人の輪から抜け出て、ジュリーの脇に立った。手にはピストルを構えている。
「お前か。さっきのビームは」
 バリトンの男はマイクに向かって言った。マイクは何のことか分からず、問い正そうとしたが、それより早く、ジュリーが、
「そうよ。彼よ。さあ、観念なさい」
 叫んだ。マイクがジュリーに視線を向けたが、ジュリーは男を睨んだまま、頷いて合図を送った。

 ジュリーとて、確たる読みがあってそう言った訳ではなかったのだった。だが、先刻から気になっていた男の優柔不断さが、この問い掛けに隠されていると直感したジュリーは、とっさに口裏を合わせてみたのだった。女の感とでもいうべきか。
「ふふ…。俺もとんでもない連中と出交わしたもんだな」
 と呟くと、それまでのファイティングポーズを解いた。

 かくしてこの男も、ばらばらと輪の中になだれ込んできた空港警察署員に取り押さえられたのだった。


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