ホーム創作ストーリージュリーとまりん>第一章

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プロローグ


 さて、以下は、21世紀も半ばにさしかかる頃の、極東のとある自治区を中心に繰り広げられる、どたばたストーリーである。
 できるだけ私情を挟まずに御紹介していくつもりではあるが、時にはつい興奮のあまり、筆が滑ってしまうことがあるやもしれない。その節は、平にご容赦願いたい。

                                 −筆者記す

第一章


「初日から遅刻なんてさえないわよね。ママったらあれだけ頼んどいたのに、全くこういう肝心な日に限って寝坊するんだから。昔っからそうだったのよね。遠足のときも、入試のときも、ぶつぶつぶつ・・」

 などと呟きながら、初夏の日差しが眩しく拡がり始めた、市街歩道網のペーブメントの上をひた走っているのは、花も恥じらう二十歳の乙女 −少なくとも本人はそう信じている。もっとも、いくら急いでいるからといって、スカートの裾が乱れるのも一向に気にせずに大股で疾駆している姿をみて、本気で信じる人間がいるとは到底思えないのだが…− だった。

 彼女の名前は、ジュリエット・A・ジャクソン。愛称はジュリー、またはジェイ。アメリカ系ではあるが、れっきとした日本人である。その証拠に彼女はスシ、テンプラ、おまけにタイヤキが大好きである。…って、なんのこっちゃ。
 ともあれ、身長1メートル72センチ、体重…キロ、B88、W59、H92のグッド・プロポーションが、ラフにカットされた金色の髪を風になびかせながら駆け抜ける様は、たいした迫力ではあった。

 走りながら、しきりに時計とにらめっこをする。別に時計をにらみつけたところで、時間の進みが遅くなるわけではないことを、彼女が知らなかった訳ではないのだが。
 その、何十回目かのにらめっこは、ジュリーの負けだった。彼女は右肩の辺りに、ふいに鈍い衝撃を感じて、あやうく転がりそうになるのを、かろうじて体をひねることで回避した。

 何が起こったのか、とっさには判断のつかなかったジュリーは、急いで辺りを見回した。すると、彼女から三・四メートル離れたところで、ぺたーんとしりもちをついて座り込んでいるセーラー服姿の少女が、目に飛び込んできた。今時制服を、それも古式ゆかしいセーラー服を採用している学校など非常に少なく、首都圏でも数校しかない。ジュリーもじかに見るのは初めてだった。くせのないさらさらのおかっぱ頭が似合う、いかにもお嬢さんタイプの女の子だった。

「いたーい」
 少女が言った。
 ジュリーの背筋にむしずが走った。
 少女の声はすこぶるかわいらしい上に、当世風女子高生特有のトーンを持っていた。ジュリーは、この手のタイプが最も苦手だったのだ。

 それはともかく、彼女ら二人が出会い頭にぶつかったことは間違いなかった。少女の方がジュリーより二回りほど小さかったので、ジュリーよりは飛ばされる勢いが強かったとみえて、その分ダメージが大きそうだった。ちょっと心配ではあったものの、ここはとにかく時間がないということで、
「ごめんね、ちょっとよそ見していて。大丈夫?あ、そう、大丈夫。良かったわ。じゃ、急いでるから…」

 全部言い終わる前から、ジュリーは再び走り出そうとする体勢に入っていた。
「あ、あのー。えーと」
 背中越しに、あの甘ったるい声が聞こえてきた。
「なによ、なんか文句でもあんの。あんただって悪いのよ。どうせよそ見していたんでしょ」

 急いでいるのと声が気に入らないのとで、いらいらの二乗に見舞われて振り返ったジュリーの面相は、眉が吊り上がり、口元が歪んでちょっとばかり凄みがあったが、少女は全然意に介した様子もなく、平然としていた。
「えーと。あたし、ここへ行きたいんですけど、ご存じですかー」
 立ち上がった少女が、一枚の紙切れを差し出した。簡単な地図の書かれたメモだった。
 メモを手にしたジュリーの表情が、ふっと弛む。

「ここなら、私が今から行こうとしている所だけど…」
 ジュリーの弛んだ表情が、さらに弛んだ。
「いいわ、ついていらっしゃい。もし、ついてこれるならば、ね」
 言うなり、ジュリーは全力で走り始めた。
「ふふふ、この私の足についてこられる人なんて、男の人にだってそうそういるもんじゃないわ。あんな小娘を振り切るぐらい訳ないことよ。いい気味だわ。せいぜい頑張ってちょうだいね」

 ジュリーは、人に意地悪をして楽しむようなタイプではなかったが、朝からのいらいら続きでたまっていたストレスを、人が困るのを見て、ささやかながらも優越感にひたることで昇華することを、きっぱり拒否するだけの潔癖症でもなかった。
「どうもすみませーん。あたし、トウキョウ初めてなんで、どこに何があるのか全然知らないんです。それで、きょろきょろしながら歩いてたんでー、あなたが走ってきたのに、気が付かなかったんです」

 ふいに、ジュリーのすぐ耳元で声が聞こえた。もちろん、あの声である。ジュリーのその時の一歩は、その前後に比べて30センチは高く飛び上がっていたに違いない。
 ジュリーは首だけ曲げて、声のした方を見た。すぐ後に、少女がぴたりとつけていた。車なら、十分スリップストリームが効く距離だ。
 信じられない、といった表情のジュリーに向かって、少女は笑顔を返した。余裕たっぷりである。ジュリーの高揚しかかった気分は、一瞬にしてしぼんでしまった。

 ちなみに、以下は走りながらの会話である。後半にいくに従って息が切れてくるので、そのつもりで読んでもらいたい。

「あんた、いい足してるじゃない」
 ジュリーは、気を取り直して言った。多分に照れ隠しの意味もある。
「やだ。あたし、皆からだいこんだって言われてるんですよ」
 少女が、恥ずかしそうに答えた。
「そうじゃないわよ。足が速いっていう意味よ」
 またしても、いらいらが昂じてきたジュリーだった。

「あっ、そーか。そういうことね。それならあたし、陸上部で毎日走ってるからー」
 なるほど。どうりで。じゃ、しかたないわよね、追いつかれても。
 ジュリーは納得できるだけの理由が見つかったことに、なにか安堵感を得て少し落ち着きを取り戻した。
「あの、あたしニシ・ハルミっていいます。セント・ジョルジア女学院の三年でーす。よろしくね」

 少女が自己紹介した。ちなみに日本 −正確には世界連邦日本自治区− のトラディショナルな表記法を使うと、”西晴海”となる。
「あ、私はジュリエット・ジャクソンよ。ジュリーって呼んで」
 ジュリーも、遅ればせながら返した。
「じゃ、あたしのことは、まりんって呼んで下さーい。皆そう呼んでいるから」
 まりんが、にこにこしながら言った。

「まりん、ね。あなたにぴったりのニックネームのようね」
 ジュリーの返事には、ちょっとばかり皮肉が込められていた。彼女にしてみれば、海みたいに茫洋としてとりとめがないというつもりだったのだが、まりんの方は、
「ええ、皆そう言ってくれまーす」
 といった調子で、ジュリーの意向など想像もしていない様子だった。
 まあ、脳天気な娘。
 ジュリーは、まりんのあまりのくったくのなさに飽きれ返って、それ以上深入りする気力を失してしまった。

「あんた、さっきセント・ジョルジアって言ったわよね。ヨコハマでしょ。私、小さい頃はあそこのすぐ近くに住んでて、幼稚部に通ってたことがあるの。もっとも、三ヵ月だけだったけどね」
 ジュリーは、昔を懐かしむように言った。その時のジュリーの脳裏には、ある感慨が走っていたのだったが、勿論まりんがそんなことを知るよしもない。
「そうなんですか。それじゃ、先輩なんですねー。あたしも幼稚部からですから」

「先輩…」
 その一言で、自らの思い出の世界に浸っていたジュリーの意識は、否応なしに現実に引き戻された。彼女は完全に後悔していた。が、後の祭り。口は災いの元。ジュリーの懸念は直ちに具体化した。
「じゃ、これからジュリーさんのこと、先輩って呼ばせてもらいます。ね、いいでしょ。せんぱい」
 ジュリーの背筋にまたぞろむしずが走った。ジュリーにとって、日本語の中でどの言葉が嫌いといって、”先輩”という言葉ほど嫌いなものはなかったからだ。その理由は…残念ながら本人が話したがらないので、不明である。

「ねえ、他になんて呼んでも構わないから、先輩だけはやめにしない?」
 かすかな期待が込められていた。
「どうしてですか。先輩は先輩じゃないですか。どこがいけないんですかー」
 まりんが、口をとんがらかすように言った。まりんという娘は、もちろん普段からかわいいのだが、こういうちょっとすねたような顔をするとさらにかわいくなり、それでもっていちばんかわいいのは…、おほん。失礼しました。

 ジュリーも、まりんのこの顔を見てかわいい…じゃなかった、これ以上反論するのをあきらめた。何をいっても聞くまい。ジュリーには分かっていた。このてのタイプの女の子の性格が。いやというほどに。
「ところであんた。何しにいくの」
 ジュリーは強引に話題を変えた。
「社会教育の実習なんです。あたし達、今年の秋には卒業なんですけど、うちの学校、アルバイトは禁止でしょう。それでいきなり社会へ出てまごつかないようにって、教科の中に組み入れてあるんです」

「そうね。セント・ジョルジアっていったらお嬢さん学校だもんね」
「そういう先輩は何しにいくんですかー」
「じつは私も実習なの」
「へー。どちらの学校ですか」
「私?SFBI捜査官養成学校よ」
 ジュリーは少しばかり誇らしげに答えた。
「へえー。じゃあ捜査官になるんですか」
「そうよ。いずれはね」
「じゃ、女性捜査官って、たくさんいるんですね」

 ジュリーはどきっとした。
−この娘、一見ミーハーの脳天気娘に見えるけど、実は羊の皮を被ったパンダ、じゃなかったかしら。ま、なんでもいいわ。案外鋭いところがあるわね−
 ジュリーは話題をそらそうと思案していた。が、
「ね、女性捜査官って、たくさんいるんですね」
 まりんが追い討ちをかけてきた。

「うーん。今は、いい、今は、よ。今は、いないわよ。でも、すぐにたくさんに増えるわよ。私の同期にだって女性は五人もいるし…」
「なーんだ。一人もいないんですか。女捜査官、なーんて、かっこいいと思ったのに…でも、すぐに誕生しますよね。目の前にも一人いることだし」
「え、ええ」
 さっきまでの威勢の良さはどこへやら。ジュリーは力なく答えた。

 ここで、なぜ、ジュリーがこうまでうろたえてしまったのか、を解説しておこう。
 それには、まずSFBIとはそもなんぞや、ということに触れねばなるまい。
 SFBIのSはスペースのS、すなわち宇宙を意味し、FBIは皆さんよく御存じのあのFBIである。つまり、地球圏および公宇宙空間を対象とする、地球連邦政府直属の警察機構のことなのである。

 人類はすでに月は言うに及ばず、火星にまでその生活圏を拡大していた。生活圏の拡大は、即ち犯罪圏の拡大を意味する。SFBIはこれら宇宙空間での犯罪に対処するために生まれたのだった。宇宙空間では人命が失われる確率が、地上とは較べものにならないくらい高いことを考えると、その取り締まりには高度の技術と経験が要求された。

 その意味でSFBIの捜査官は即ちエリート集団であり、従って志願者も非常に多かった。ジュリーもまた、その捜査官になりたくて、養成学校に入学した一人なのだ。それはジュリーに限ったことではなく、数多くの女性が同じ目的を持って養成学校に入学してきた。だが、まず、卒業まで残れるのが非常に少なかった。事実、ジュリーの同期でも、入学時三十五人いたのが、一年弱の間にジュリーを含めて六人にまで減ってしまっていた。

 理由は様々だが、学校側としてはやめていくことに、何ら反対はしなかった。いや、むしろやめることを勧める風潮すらあったのだった。
 これはSFBI全体を通じて言えることだった。捜査官に女はいらない。それがSFBIのモットーといってもいいくらい、頑なに拒否しているのだった。
 その裏には、いわば男達の意地が隠されているのかもしれなかった。

 この時代、男女の格差は益々無くなり、社会の主要なポストへの女性の進出は、当たり前の事となっていた。女性の管理職にあごで使われる男の数も、決して少なくなかった。
 そんな中で、SFBIの捜査官というのは数少ない、女性のいない職場だった。確かに女性向きでない、というのは間違いなかったが。
 女性排除の動きは、実習配備についてからも続いた。いきなり捜査に加われることなど、全くなかった。まずは退屈なファイル整理に始まり、次いで検死係のアシストに回されるのが常だった。

 だいたいうら若き乙女に、毎日のように死体、それも手榴弾でばらばらになったやつとか、工事用ミキサーに巻き込まれてミンチみたいになったやつを見せ続けるわけだから、いくら不退転の決意をもっていたところで、そうそう長続きするわけはなかった。
 ジュリーも、勿論、そんな話は百も承知だった。だいたい、養成学校では、過去の実績は動かし難い、とかなんとか云って、こういう話しをすぐに持ち出してくるわけなのだから、いやでも知りざるをえない。

 それでも、ジュリーが意志を曲げようとしなかったのは、それなりに断固たる理由がある訳なのだが、そのことについてはいずれ明かになる機会もあろう。
 ともかく、そんなわけでジュリーは、不安がないといったら嘘になる、というよりむしろ不安だらけ、といった心理状態にあったのだった。
 そんな気持ちを、いかにも見透かしたかのようなまりんの発言に、心ならずも動揺してしまったジュリーなのだった。

 二人は一向にスピードが落ちることなく、目的の場所へと近づいていった。
 このぶんなら、かろうじて遅刻はまぬがれそうだった。まずはめでたし、であった。
 ジュリーもそれなりに評価していた。少なくともこの時点では。
 が、もしあなたが、何かの機会にジュリーに向かって、この日のことを話題にしたり、ましては、良かったですね、などとは決して口に出さないことだ。

 もっとも、あなたが右か左か、もしかしたら両方の頬が、満足に食事も出来なくなるぐらいに腫れ上がることを覚悟の上だとしたら、話は別だが…


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