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第三章


 その日の夕刻、ワゴン車は研究所へ戻ってきた。由記は簡単な報告を済ませた後、まっすぐ啓士の研究室へと向かった。とにかく、誰かに胸の内を訊いてもらわなければ、収まりがつかなかったのだ。部屋には丁度、宏幸も居合わせていた。由記はその日別荘で起こったこと、そのことをどう思っているかを、一気にまくしたてた。

「あ、そうそう。今言った主治医って人なんだけど、これが大変な人物なの」
 話が一段落したところで、宏幸が差し出したコーヒーを一口すすった後、由記が言った。ようやくいつもの由記に戻ったようだった。
「誰なんだい?」啓士が、あまり誠意がこもってるとは言いがたい調子で、合わせた。

「あなた達は知らないと思うけど、若宮妙子さんっていう、私たちの世界では有名な人」
 それを聞いて、丁度コーヒーを口に含んだところだった宏幸は、危うく吹き出しそうになった。
「T大医学部のか?」宏幸の声は、心持ちうわずっているように思えた。
「そうだけど…どうして知ってるの?」由記が怪訝そうに宏幸を見た。

「そうか。彼女が絡んでるとすると、やっかいだな」宏幸は頭の後ろに両手を組むと、天井を仰いだ。わずかな沈黙が流れた。
「彼女も、高校の同級生なんだ。俺達と」宏幸が、ぽつりと呟いた。

「帰国子女で、とびきりの美人。スポーツ万能で勉強もトップ。すごかったね。おまけに…」啓士の方をちらっと見る。「おまえ、話してないのか?」
 啓士は無言で俯いたまま、動かなかった。
「なに?なにかあったの?」不安そうな由記。

「言っちまえよ、いずれはばれるぞ。それとも俺から…」
「いや。僕から話す」
 宏幸を制して、啓士がやっと口を開いた。
「実は、彼女とは高校時代、特別な関係にあった」

 由記はショックを隠しきれなかった。勿論、啓士が自分と知り合う前、誰ともステディな関係になかった、と本気で思っていた訳ではなかった。だが、こうはっきり宣言されては、平静でいろ、という方が無理というものだった。
 しかも、相手が伝説の人物ともなれば、混乱するのも無理はなかった。

「だが、別れた。卒業と同時に」
「医学部に進んだことは知っていたが、その後のことはよく知らない」
 由記には啓士の口から語られる言葉が、別世界での独白のようにうつろに響いていた。

「やっぱり、ほんとなの?人体実験の噂」ややあって、由記が口にした言葉は、由記自身にとっても意外と思えるものだった。彼女のどこに惹かれたのか、なぜ別れたのか、他にも聞きたいことは山ほどある筈なのに…

「分からない。でも、彼女なら、そんなことがあったとしても不思議じゃない」
 由記は、これほど真摯な啓士の顔を見るのは初めてだった。いつもの自信に裏打ちされた余裕が、全く感じられなかった。
 彼は本気で彼女のことを恐れている。と、由記は直感で理解した。そしてこのことが、由記に平静を取り戻させることに作用した。

 それは、自分と啓士が、妙子に対して同じ危機感を共有している、という一種の同志意識が、由記に安心感をもたらしたからだった。さらには、その危機感が、二人の過去を詮索するより、これから起こることに集中する方がはるかに重要だ、という認識をもたらしたことも作用していた。


 二週間後。
 朝もやのたなびくその広大な庭から、すでに電源トラックは姿を消していた。
 大広間の中では電源コードが繋ぎかえられ、床には巨大なコネクタと、そこから延びたケーブルが生き物のようにうねっていた。

 制御コンソールにも、改造の跡が見られ、いくつか追加された機器もあった。
 琢磨は、シートの上で、なにやら操作している。ホログラムフィールドには、映像の断片が現れては消えていった。

 同日の昼。
 VR研究所の食堂では、啓士と由記が揃って昼食をとっていた。
「もう二週間よねぇ。先週電源車が返されてきたけど、それ以外は何の音沙汰もなし。どうなってるのかしら」由記が、溜息混じりに呟いた。

「さすが財閥、あれだけの電源も自前で用意できるってことか」啓士が、サンドイッチを頬張りながら答えた。
「パスワードでプロテクトされてるから、そう簡単には起動できないはずなんだけど」由記が、サラダを口に運ぶ手を止めて呟いた。

「だが、動かないまま二週間も音沙汰なし、ってことはないだろう。行って見てくれば?」
「だめなの。室長から許可が下りないのよ。まぁ、その上からの圧力でしょうけど」
「じゃ、こっちからアクセスはできないのか?」
「無理ね。スタンドアロンのセッティングになってるから」

「…だが、もし彼がクラッカーなら、ここと繋ごうとするんじゃないか?」
 啓士が、最後に残ったパセリを口に放り込むと、言った。
「そうか。考えられるわね。調べてみるわ」
 由記は啓士とともに急いで部屋に戻ると、研究所のネットワーク管理部門に電話した。

「やっぱりアタックを受けているそうよ。三日前から」受話器を置くと、由記が言った。
「使っていることは確か、か」啓士が思案げに答えた。
「そういうことなら、『えさ』を用意しましょ」
 由記は再びネットワーク管理部門に、電話を繋いだ。

 その日の夜、研究所のシステムは四度目のクラッキングを受けた。由記が設定したパスワードが打ち込まれ、その侵入者はシステムに入り込んだ。そして、由記が用意したメッセージを受け取ると、静かに立ち去っていった。

 翌日、由記は啓士の部屋に入ってくるなり、
「やはり入ってきたわ」と、ログリストを差し出して見せた。
「メッセージが送られたので、今晩も来る筈よ」
 その日の夜、二人がコンピュータの前で待つと、案の定、侵入してくる者がいた。

 由記はすかさずチャット(会話)モードに移行した。
「あなた誰?」「…」
「いいわ、じゃT君にするわね」「…」
「なぜ、ここに」「…」

「ここは他のマシンから切り離されているから、歩き回っても情報を得ることはできないわ。でも、何が欲しいか言ってくれれば、場合によっては手を貸すことも出来るわ」「…」
「それじゃ、私は毎晩待ってるから、用があったら入ってきて」「…」
 その日はそれで切れた。

 由記は次の日も、その次の日も、辛抱強く侵入者の相手をした。
 何日か経つうちに、始めは無言だった侵入者も、次第に打ち解けてきた。
 全ての会話は、コンピュータの画面上で淡々と交わされた。

侵入者「ところでおたくの研究所じゃ、対G戦用のVRを開発しているそうだね」
由記 「なんであなたが知っているの?」
侵入者「僕はなんでも知っている、Gのことなら。まぁ見てて。今に凄いもの見せてあげるから。じゃ、今日はこれで」
由記 「あ、ちょっと待って。どういうことなの?」「…」

 由記の心に、新たな不安の種が、芽を吹いた。


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