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 新世紀エヴァンゲリオン 蘊蓄コーナー
 過去の蘊蓄('07〜'06)

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 リツコさん陵辱

 新劇場版を記念して、(なぜか)MTVでエヴァ特別版を放送していたので、HDDレコーダで録画しつつ、つまみ見してました。
 毎回、見ると何かしら新しい発見があるのですが、今回は第弐拾参話の、リツコさんの「陵辱」についてです。

 ゼーレの審問を受けているシーンで、リツコさんがどうも裸らしい(注1)というのは、本放送直後のNifty SGAINAX会議室でも取りざたされていたことですが、レイの秘密とリツコさんの裸、それに陵辱というセリフがどう関わるのか?もまた、当時から疑問とされていました。
注1:特別版では、よりはっきりと裸体(後姿)が加えられていましたね。
 それがやっと、一つの可能性のある説に辿り着きました。

 ゼーレのメンバはリツコに対し、ゲンドウが「零号機パイロットの尋問を拒否。代理人として君を寄越したのだよ」と言っています。
 これを「レイ(の肉体)とリツコ(の肉体)は同じなので、代理でも勤まる」の意と取れば、説明がつきます。つまり「リツコの肉体を精査すればレイの秘密が分かる」ということです。
ゼーレが知りたかったのは「魂の秘密」とも考えられますが、その場合も、肉体の検査を通じて情報が得られる、とした方が、エヴァの世界観(魂は物理的な計測が可能な実体として位置付けられている)との親和性は高いでしょう。
 おそらく、リツコさんは(化学的にだけでなく、物理的にも)体の隅々まで、徹底して調べられた筈です。もちろんゼーレも、「レイ=リツコ」な訳はないことは百も承知で実行したのでしょう。

 リツコさんは、何も知らされずにあの場に送られたと思われます。最初は不可解に感じながらも、事の成行きから全てを理解し、あの場では気丈に振る舞ったものの、ゲンドウの気持ちが自分にではなく、レイに向いていることを改めて確信したのでしょう。

 リツコさんとしても、あれが、あくまでゲンドウを守るためであれば我慢もしたのでしょうが、レイを守るため、というのが耐えられなかった。それが、水槽レイの破壊という悲劇へと繋がっていく訳ですね。

P.S.
 ついでと言ってはなんですが、赤木ママについても気付いた点があります。
 それは「ネルフ誕生」での身投シーンなのですが、あの血の飛び散り方は、単なる落下にしては少々派手すぎるように思えます。

 遺体の輪郭線からすると、胸から下には殆ど血の跡がないので、(落下の直前または最中に)頭部から大量に出血(破裂?)したようにも見えます。
 ということは、(以前から指摘されていたように)ちびレイのATフィールド展開説が有力なのかもしれません。
(2007/08/18)

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 祝・アニメ夜話「ボトムズ」放映

 う〜む、ナッキーかぁ…
 でも、まぁ、いっか〜
 は、さておき…

 マクロスに続いてボトムズと、ここで挙げた作品が取り上げられた(残る、妖獣都市もよろしく>って誰に言ってる?)ので、調子に乗って追加してみました。

<きまぐれオレンジロード・あの日に帰りたい>
 TVシリーズの延長と信じ切って、内容も確認せずにLD購入して見たときの衝撃は、今も忘れられない。
 個人的にはタブーとしたい(二度と見たくない)作品ではあるが、評論という観点からは非常に興味深い。

 ラブコメを頂点とする一連のアニメにおける、いわゆる「モラトリアム状態」を真っ向否定した制作者側の意図/思惑を、徹底的に分析してもらいたい。

<くりいむレモン シリーズ>
 それまでのアニメが持っていたベクトルを、完全にねじ曲げた(笑)画期的作品群。
今日のアニメ(ひいてはゲーム)ブームを水面下で支えているのは、実はこういった作品であることを「アニメは日本が世界に誇る文化だ!」とか声高に叫び始めた偉い人たちは、どこまで理解しているのだろう?と、ふと思う今日この頃…
 オリジナルのビデオシリーズのみならず、テレビの深夜枠で放映された派生番組「レモンエンジェル」は視聴率5%という驚異的数字(注1)を叩き出し、その後の深夜アニメの魁となった。
注1:深夜は消されているテレビの方が圧倒的に多く、(当時の)5%というのは視聴している人のほぼ全員、という説もある。(視聴率の母数は総設置台数であり、総視聴数ではない。)
 もちろん、NHKとしては大変度胸のいる選択となるが、マンガ夜話のときも結構きわどいのがあったので、不可能ではない筈。
(2007/07/14)

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 地獄の海の珊瑚海

 先日、とある調べ物の過程で、たまたま、2ちゃんねるのエヴァ板でうちのページが話題にのぼっていたことを知りました。
 その中で、第12話の空母について間違いがあるかのような指摘がなされていた?ので、少し述べてみたいと思います。
(掲示板で発言しようかとも思ったのですが、もう一年近くも前の話題だし、図入りの長文になるので、こっちにしました。)

 結論から言うと、これはやはりミッドウェー級3番艦「コーラルシー」だと思います。
(ミッドウェー級は3艦建造され、製造順にミッドウェー、F.D.ルーズベルト、コーラルシーとなります。)

 少なくともフォレスタル/キティホーク級ではありません。
 全体のフォルムからそう判断できるのですが、以下、更に細部について考察してみます。
注1)参考資料として、丸スペシャル No.81〜No.89,No.91を用いています。
注2)艦艇の場合、改装によって艦形が大きく変化することがありますが、ここでは最終改装時を想定しています。
注3)フォレスタル級とキティホーク級は、ひとまとめにフォレスタル級と記しています(エレベータ配置図を除く)。
注4)相違点の証拠として写真が使えればいいのですが、著作権等の問題がややこしいので、簡単なイラストで代用しました。
【艦首】
ミッドウェー級:飛行甲板前端部と艦体が滑らかに繋がっている
フォレスタル級:角がある
第12話の空母:ミッドウェー級と同じ

【艦橋前部の形状】
ミッドウェー級:前面、側面と(両者を繋ぐ)斜面で構成されている
フォレスタル級:前面と側面のみで構成されている(矩形)
第12話の空母:ミッドウェー級と同じ

 エレベータは、違いが最も分かりやすいので、少し詳細に見ていきます。

【エレベータの数】
ミッドウェー級:3基(右舷2基、左舷1基)
フォレスタル級:4基(右舷3基、左舷1基)
第12話の空母:ミッドウェー級と同じ

【右舷エレベータの形状】
ミッドウェー級:エレベータの端が艦橋部甲板の線から飛び出している
フォレスタル級:甲板とエレベータの端は一直線
第12話の空母:ミッドウェー級と同じ

 以下は、ミッドウェー級とした場合の、では何番艦か?という考察です。

【左舷エレベータの位置】
ミッドウェー:アングルドデッキ後部
ルーズベルト:アングルドデッキ前部
コーラルシー:アングルドデッキ後部
第12話の空母:ミッドウェー、コーラルシーと同じ

【アングルドデッキの幅】
ミッドウェー:船体とほぼ同じ
ルーズベルト:船体の半分程度
コーラルシー:船体の半分程度
第12話の空母:ルーズベルト、コーラルシーと同じ

 以上から、コーラルシーと推測されます。
 あと、これは考証とは異なりますが、コーラルシーとは「珊瑚海」であり、地獄の海を行く船としてこれ以上ふさわしい名前はない、というのもあります。

【おまけ】
 カタパルトやランディング装置が撤去されているように見えることから、本艦での(VTOLを除く)固定翼機の運用は想定されていないのかも。
(2007/07/14)

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 日本沈没

 結局、今期はなにもなし。

 さて、WOWOWで「日本沈没」見ました。

 個人的には「前作は、少なくとも『作り直したくなる程のヒドイ出来』ではない」(どのみち、誰が作っても原作は超えられない)と思っていたので、なんでリメイク?というのが素朴な疑問としてあったのですが、見終わっての率直な感想は「まぁ、単にVFXがやりたかっただけ?」。
とはいえ、数は少なかったものの、樋口特撮が見られたのは慶賀というべきか。
 前作(原作)とは異なり、沈没は既定事実としてそこから始まる、というのはまあいいとして、受入先との交渉がどうも二国間らしいというのが腑に落ちない。

 これほどの大災害であれば、当然、(原作通り)国連が舞台になって然るべきと思うのに出てこないし、特に、一時的な避難ならともかく、永住する訳だから、その国に同化するのか、それとも何らかの自治を認めるのか、そうなると例えば「領土を持たない国が存在しうるのか?」といったような、ある種の法論議があってもいいと思う。
怪獣映画なんかもそうだけど、周辺(だけに限らないが)の諸外国の動向とかが何も描かれない、というのは、そろそろ通用しなくなると思うのだが。
 娯楽映画だからそこまでは、というのであれば、例えば「大怪獣東京に現わる」に倣って、沈没自体は背景化して、沈みゆく地の人々にのみフォーカスする(注1)とか、あるいは(原作にはない)沈没を阻止するプロットを持ち込むのであれば、最初からそこに向かってのドラマづくりがあってもいいと思う。(となると、まんまアルマゲドンやザ・コアになってしまうかもしれないが…)
注1:特権階級らしき家族の脱出シーンがあったが、他にも、優秀な人物は各国が争って招聘したり、国際企業は自社社員を優先的に受け入れたり、あるいは例の「なにもせんほうがいい」を実践する人々とか、そういう温度差のようなものを丹念に描くというアプローチもあると思う。
 それとも、前作が映画とテレビのタイアップ?だったことを受けての「これはテレビ版のダイジェストです」的なノリなんでしょうかねぇ…

 本来なら、原作者である小松左京氏の元々の構想を尊重して、新作は日本が沈没してからの日本人の「その後」を描くべきだと思うのですが、さすがにスポンサーがつかないだろうなぁ、そんな地味で重い映画には。

 あと、N2爆薬(爆煙もそっくり)には笑いました。
(エンドロールに庵野さんの名前があったけど、やっぱり爆薬紹介時の写真の人物?)

P.S.
 ヒストリーチャンネルの「ウルトラの揺り籠」(DVD化されているようだが未見)でやってた座談会は、出席者が小中和哉/庵野秀明/樋口真嗣/原田智生の各氏という錚々たる顔ぶれだったのですが、司会の桜井浩子さんの前では、監督の肩書きを持つ各々が子供同然(実際、見ていたときは子供だった訳だが)だったのが可笑しかったです。
(2007/05/13)

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 最近のアニメ(2007年03月編)

 最近は殆ど見るものもなく、今期も見ていたのはKanonだけ。
 それも「オチはなんなんじゃぁ」の一念だけで。(結局、見終わって、「あ、そ」って感じでしたが。)

 ところで、最近は1クール12話が主流なんでしょうかね。Kanonもてっきり26話迄かと思ったら24話でしたし。
最終話のあの唐突感が、いかにも「26話ベースで作ってきたのに、急に24話で打ち切られました」的で笑えましたが。…って、なんか意図的にやってないか>京アニ
 確かに、DVD化することを考えると13というのは切りの悪い数字で、一方でTV放映の方も、期の切り替え時には特番が多くなってきていて、必ずしも時間を埋めなくてもいい、ということなのでしょうかね。

 さて、来期は何を見ようかな…。(見るものあるかな)
(2007/03/17)

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 ローレライ(補足)とアニメ夜話

 補足、というか、細かいツッコミなど。
  1. 米軍はローレライ(を搭載した潜水艦)のことを、一貫して「ウィッチ」と呼称しているのに、通信所のシーンで「平文の中に『ローレライ』という単語が何度も」というのは、いかがなものか。

  2. 艦内の表記が、ざっと見た感じでは全てドイツ語のようだったが、構造部品はオリジナルをそのまま使用すると考える方が自然なので、そうなるとフランス語でもいい気がする。

  3. クライマックスで、駆逐艦が(これでもかという程)密集して描かれているが、実際にはあり得ない。あれは、あくまで映画表現上の演出と位置付けるべきだと思うが、伊507側の作戦がそれを前提にしてしまっているため、「おい、おい」ということになる。
    古き良き時代の作品には「周りをぐるっと取り囲んで一斉に射撃する」というのがあって、それじゃ貫通した弾で同士打ちになっちゃうだろ、ってのに一脈通じるところがある。
  4. 初見時、途中で降りた連中が乗っていた船はどっから調達したの?と思ったら、元になった仏潜水艦「シュルクーフ」にはカッターが積まれていた、とのことなので、これは納得。
    そう言う意味でのリサーチは相当やったようで、実際、成果が現れていると思う。
    例えば、艦長からの指示に「ちょい、〜」というのが出てくるが、これは実際よくあったらしい。(その辺の塩梅がきちんとできて一人前、ということのようだ。)
  5. ローレライシステムをもって、本作をファンタジーとして評価する向きが多いようだが、個人的には十分許容内で、その部分についての違和感はない。
    それより、主砲の一撃でB-29を打ち落とす方がよっぽどファンタジーだと思う。(どう見ても三式弾ではないし…)
    というか、前回でも触れたが、ここにローレライシステムが絡んでこないのが、何より悲しい…。
  6. で、総合評価だが、どうも、第二次大戦末期を舞台にしたことが、全てを中途半端にしてしまった感がある。
    いっそのこと第一次大戦か、または米ソ冷戦時代(ベトナム戦争の頃)あたりの方が、もっと娯楽色を強く打ち出せたと思う。
    ネットで目にした、コンセプトに関する情報の中に「宮崎駿、もしくは冨野由悠季的センス・オブ・ワンダーを加える」というのがあったが、この二人にセンス・オブ・ワンダーを求める時点で、方向間違ってるよなぁ、と思うのは私だけ?

 話変わって、今回のアニメ夜話は(期待してなかった所為もあってか)全般に良かったです。
 やはり、ゲストの人選がカギというのが、今シリーズでも証明されましたね。
出だしの「岡田氏を含めて3人」というのが(人数的に)バランス良かったので、マンガ夜話で一時期やっていたパターンに倣って、まずは3人でひとしきり喋った後にスペシャルゲストを迎えて、というのもいいかもしれない。
 さて、「千年女優」の最後の台詞についてだけ一言。

 ふつう、本当に自分が好きな人はそれを自覚していないので、そんなクールな物言いはしない(できない)。
実際、「自分が好き」と言って憚らない人はいるが、そういう人は、ネタで言っているか、あるいは逆に「誰も愛してはいない(から、自分自身を客観視できる)」かのどちらかである。
 なので、最後の台詞も「セリフ」と解釈すべきなのでは?
勿論、あの場面に何か具体的な作品の台本が置いてある訳ではない。言うなれば「神様の書いた『彼女の人生』というシナリオに書かれた(メタレベルでの)セリフ」ということか。
(つまり、彼女は根っからの女優で、「演じている自分」と「本当の自分」の区別がつかなくなっている。というか、両者が渾然一体となって彼女を形作っている?)
(2006/08/12)

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 ローレライ

 日本映画専門チャンネルで、ローレライ見ました。
 以下、インプレなど。(あ、原作は読んでません。)
  1. 公開時に同チャンネルで放送された特番で、背景として伊507の模型が置かれていたので、登場シーンを楽しみにしていたが、なんかこれ殆どCGじゃないの?って質感でちょっとガッカリ。
    実際、本当のところどうなんだろう。もし、模型を撮っておきながら(CGの他のパートと質感をそろえるために)わざと画像処理しているのだとしたら、本末転倒な気がするし。
  2. パウラは綾波レイだろ、とか、N式のワイヤーはアンビリカルケーブルだろ(ラピュタじゃないのかよ、と一応ツッコミは入れておく)、とかは置いといても、過去の潜水艦モノへのオマージュが随所に見られるのは、潜水艦モノ好きとしては吉。
    艦形について、監督は放映後のインタビューでヤマトに言及されていたが、どう見ても青の6号(初代)。
  3. 「ドイツと潜水艦」繋がりという点では、ちょうど同チャンネルで同時期に放映していた「フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)」が重なる。
    前述の特番で、監督が「サンダ対ガイラ」を高く評価していたので、その前作である「フランケン…」についても、当然熟知している筈。ちなみに「フランケン…」冒頭の、ドイツと日本の潜水艦が洋上で会合して心臓…ではなく、兵器/人員を交換するというのは実際にあった話。
  4. ローレライに関しては、仮にマップを正確に描きだせたとしても、それだけでは最終決戦兵器としては弱い。せめて、パウラが魚雷(有線)の誘導まで出来て、確実に一発必中を狙える、という辺り迄は行って欲しい。また、そうすることで、当てるごとに自分はどんどん死に近付いていくというジレンマがより切実なものになるように思う。(パウラが死んだと思ったら、ひょっこり現れて「何も知らないの。たぶんあたしは3人目だと思うから」ってのは、さすがに時間的に無理か…)
    そもそもアメリカが、このように特定の個人に強く依存する兵器を本気で欲しがるとは思えない。
    (アメリカ人は自分の国の成り立ちを熟知しているので、普通にその辺にいる人がマニュアル通りに実行すれば、そこそこの成果をあげられる(もし不足があれば、質を上げるのではなく数を増やす)方法を好む。)

    一方、ドイツ(ナチ)が考えた、というのはいかにもありそうだが…、で、思い出したが、高須(石黒賢)が持っていたP-38は、ゲシュタポタイプという銃身を短く切り詰めたもので、これを持たせることで彼の背景を暗示してみせる演出はポイント高い。(余談だが、ナポレオン・ソロが所属するU.N.C.L.E.もこのモデルを採用している。)
  5. ストーリー的には不満が多い。タイトルにもかかわらず、ローレライが切り札になっていないとか、途中の反乱の部分で散漫度がよりアップしている、とか、全般に練り込み不足の印象が強い。(というか、大勢が寄ってたかって、ああでもないとかやると、得てしてこうなりやすい。)
    何より致命的なのは、航空機に対する配慮がないこと。当時、既に対潜水艦戦闘の主役になりつつあった航空機(対潜哨戒機)が全く出てこないということは、出すとこの物語が成立しなくなることを製作側も理解していたからであろう。
  6. 全般に、若干説教臭かった点が気になった。
    最近はスポンサーを騙くらかす納得させるためなのか、人と人との絆とか、家族愛とか、別にそんなもん、娯楽映画でやらんでもええやん、というのが多くて困る。
 どうせなら、神宮司大佐率いる伊403潜が「もう一つの予備」として極秘裏に出航していた…、とか、やって欲しかったですね。

P.S.
 8月7日からのアニメ夜話ですが、「千年女優」「勇者ライディーン」「鋼の錬金術師」と、まぁ、これといって思い入れのない作品ばかりなので、今回は気楽に流すことにしています。
(2006/08/05)

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 最近のアニメ(2006年5月編)とアニメ夜話

 う〜む、しょこたんかぁ…
 でも、まぁ、いっか〜
 は、さておき…

 攻殻機動隊 SAC The Laughing Man, SAC 2nd GIG Individual Eleven(テレビ本編に新作カットを加えた総集編)見ました。
 既に見てはいたものの、流し見が多かったせいか、こうして一気見すると、ヘタな劇場版よりよっぽど密度の濃い内容でしたね。
こうやって見ると、押井(敬称略)がなぜイノセンスを作ったのかが益々わからなくなる。立喰師とのバーターか?とも勘ぐりたくなる。
 見ごたえのある理由は、最近の作品には珍しく、ストーリーがしっかりしているから、と勝手に解釈。
タチコマの「僕らはみんな生きている」のシーンなぞ、淡々と描かれているにも拘わらず、何度見ても感涙ものだし…
 しかし、この作品も最近の例に漏れず、3Dバリバリ(死語)な訳ですが、それ程鬱陶しくないのは何故?
 自分でも良く分かりませんが、何かフィルタリングの類を施しているのか?
(それとも、話を追っ掛けるのに忙しくて、絵に集中していないため?)

 あと、凉宮ハルヒは、本編以外が騒がしいのでちょっと敬遠してましたが、見るとそれなりに面白い。
攻殻が話に引き込まれて3Dであることも忘れてしまうのに比べ、演出とかカメラワークとか、作者側の仕掛けに注意がいくという点では対照的だが。
(2006/06/10)

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 最近のアニメ(2006年3月編)とアニメ夜話

 ここ最近、見ているのは「びんちょうタン/タクティカルロア/ローゼンメイデン トロイメント(CS再)/スクールランブル(CS再)/攻殻機動隊 SAC 2nd GIG(CS再)」。
 (最後を除いて)どれもツッコミどころ満載ですが、それでも見てしまうのは理性とは別の(脳の)部位が反応しているんだろうと思います。
実際、似たようなのがたくさん放映されている中で、こうもはっきり見る/見ないがニ分されてしまう理由は、自分でも良く分からない。
ただ、いずれにしても、判断基準が「ストーリー>エピソード>シーン>カット」と、どんどん短縮化しているのは確かで、それは迅速を旨とする時代の要請なのか、それとも良質なストーリー物がないからなのか…
 さて、BSアニメ夜話の告知がされましたね。
 放送までには暫く間がありますが、軽く雑感など。(以下、敬称略)

<ヤッターマン>

 個人的には、タイムボカンシリーズの中では、これが一番だと思う。
 その後の同シリーズだけでなく、アニメ全般に対して一つのテンプレートとして位置付けられる作品ということでも、価値が高い。

<王立宇宙軍〜オネアミスの翼>

 これを最初に知ったのは、バンダイが出していたPR誌「模型情報」だった。(そういえば「アップルシード」もこれで知ったんだっけ。)
 LDにはおまけとして、アメリカでの上映を記録した短編が収録されていて、当時は「すっげー」と思ったが、(本作に限らず一般に)「アメリカでも絶賛」とされるものが、実はかなり限定されたものであり、本当に評価されるとリメイクされてしまう、ということを知るのはずっと後になってからだった。

 作品を見た感想は、一言でいうなら「それがどうした」。
 確かに、動画の凄さには目を見張るものがあったが、結局何が言いたいのか良く分からなかった、というのが正直なところ。
 この回は、まぁ、どう転んでも岡田の独り舞台か…

<イノセンス>

 押井は3回目。宮崎も3回やっているので、作品選びに何かバイアスがかかっている感じ。(過去の視聴率や、視聴者リクエスト重視とか。)
 敢えてイノセンスを取り上げる意図がよく分からない。CGで取り上げるなら、他に適例がありそうだし。プロダクションIGがらみ?
 作品の印象は以前書いた通り。

 ただ、SAC 2nd GIGなんかを見ていると、押井がパトで本当にやりたかったのは、つまりこういうことなのかなぁ、という気がする今日この頃。
(久世って柘植だよなぁ、やっぱり…)
ふと思い出したのでここで記しておくが、以前アニメ夜話パトの回で「(冒頭の戦闘での)柘植の行動はおかしい。撃てばいいじゃないか」といった指摘があったが、それはちょっと違うと思う。
職業軍人にとって命令は絶対で、命令なしに行動することはあり得ない(注1)。彼等はそのように訓練(洗脳)されている。だから、命令(を絶対とする価値体系)から解放されるためには、(命令を遵守したがための)最大級の絶望を味わい、さらにそのことに決着をつけるための長い葛藤が必要であった。それ故、あの冒頭のシーンは全く正しい、というのが個人的見解。

注1:かつてルバング島で発見された小野田元少尉が、上官から直接、任務解除命令を受けるまでは、頑として帰国に応じなかったことは好例。(一方、グァム島で発見された横井元伍長は徴用された民間人であり、その行動が対照的だったのは頷ける。)
(2006/03/26)

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 ダイコンだからニンジンか…(補足)

 今度はANIMAXでエヴァが始まりましたね。たまたま回したら、第壱話のレイがストレッチャーで運ばれてくるシーンをやってました。
「あの医者と看護士はどこに消えたんだ?LCLのプールにたたき落とされたのか?」ってなSGAINAXでの議論を、懐かしく思い起こしてしまいました。

 さて、前回にちょっと補足です。

 おたくとは、一般に「マンガやアニメに異常に関心があり、他人とのコミュニケーションが苦手で、二人称として『お宅』を用いる人々」と定義されます。(勿論、異論が沢山あるのは承知)
 おたくのキモは「何かに異常に関心がある」ではなく、その言葉が示している通り「コミュニケーションが苦手(注1)」の方にあります。(注2)
注1:おそらくは「何かを異常に好きになった結果、コミュニケーション不全が生じた」のではなく、「もともとコミュニケーション不全の連中が、時代的に最も飛びつきやすかったマンガやアニメに集中した」が正しい。
旧来の言葉に置き換えるなら「マニア」や「エンスー」ではなく、「学者バカ」あたりが相応しいような気がする。

注2:そういう意味で、エヴァは正しく核心を突いていた。テレビ版最終話は、おたくに「おたくとして生きていいよ」という免罪符を与えた訳であり、それはそれで卓見である。
 最近では、おたくを商品価値のあるものとして捉えようとする動きがあるようですが、おたく=マニア(この連中は別にコミュニケーション不全という訳ではない)と勘違いすると、手痛い目にあいそうな気がします。
(2006/01/21)

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 ダイコンだからニンジンか…

 お正月の一挙放送で、テレビ版「電車男」見ました。

 一言でいうと「(かつての)ハリウッドが描く日本」みたいで、居心地の悪さを感じました。
「巨人の星」が実録マンガとして脚光を浴びた当時、巨人軍関係者から「本当の巨人はこんなんじゃない!」という声が挙がったそうだが、まぁ、「中の人」から見るとそういうもんなんでしょう。
 元を読んでいないので、オリジナルがどういう流れになっているのか分かりませんが、少なくともテレビ版(の製作スタッフ側の視点)は、昔からある「サエない、モテない男のサクセスストーリー」であり、そのアレンジ形の一つとして捉えられている。そういう意味では、ひと頃のトレンディドラマとアーキテクチャは同一と言えます。

 つまり、アキバ系おたくは存在しなくても話は成立する訳で、この「無理矢理ねじ込まれてる」感が原因の一つであろうと思われます。

 また、「掲示板で交わされたリアルとも妄想ともつかない話」をドラマ化する手法がまだ確立されていない(注1)ため、様々なものを具体化せざるを得ない(注2)ことから、それが「生々しさ」となって寓話(注3)として処せなくなってしまうという技術的(本質的?)問題もあり、それがなお一層、「普通のドラマじゃん」感を強めている面もあろうかと思います。
注1:映画版は「夢オチ(の変形)」という古典的手法に逃げたらしいが(未見)。

注2:エルメスらのバックグラウンドを描いたり、かつてはマニアと呼ばれた人たちを周囲に配したり。(女性トリオの「男漁り」話もこの文脈に置くと、いずれは「恋愛おたく」として取り込まれてしまうのではないか、という予感さえする。恐るべし、おたくパワー?)

注3:寓話=昔話(童話としてアレンジされる前の原形の方)は、生身のリアリティがない(具体的な描写がない)のが特徴といわれる。だから、体がまっぷたつになったり、猛獣に喰われたりするエピソードが普通に含まれる割に、陰惨にならないのだそうだ。
 いずれにしても、文字の世界では「伝達手段にリアリティがないことによる、寓話」が成立しつつある中で、テレビ・映画を含めた映像作品は今後どうするのか、興味深い点ではありますね。

 あと、ニート問題もそうですが、この作品の背後にも「更正」「矯正」「復帰」といった、ある種の優越主義臭が感じ取れるのですが、この辺もグローバルスタンダード偏重の影響なんでしょうかね。(優越主義的傾向はアングロサクソン系に顕著で、少なくとも江戸期迄の日本にはなかったもの。)
(2006/01/07)

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